2004年に出ていた本だが、勉強不足により気がつかなかった。不明を恥じるとはこのことだ。若き日の朝尾直弘氏の講義を受けたものからすれば、当時のそこはかとなくあった疑問が一気に氷解する体験は目からうろこが5枚ぐらい落ちる感じだ。もちろん著者は専門の歴史学者ではないから藤木久志氏をはじめとする研究者の研究に基づいた立論であり、そういった研究者の議論を追っかけていれば、最近の中世・近世理解がここまで進んでいたことに自分も気づけたはずだとは思う。
しかし、専門家の研究に依拠しながらもその議論を法哲学、政治哲学の深みまで敷衍していくその思考過程は極めて鮮やかであり、そこにこの本の意味がある。中世を生きた村人の生き生きとした姿は、何もアナール学派的な心性史をほじくりだすまでもなく、生き残るための戦いといったいわばいつの時代でも変わらない要請からも十分リアルに説明できるということがわかる。もちろんその中世人、近世人の感性はまたそれぞれの歴史的独自性を持って説明されるべきであり、その説明も著者は試みている。しかし、その感性はやはりその当時の社会的経済的状況あるいは権力構造の中で、どのように生き残るかといういわば身も蓋もない下部構造に規定されたものだ。それを眺める研究者が、教条的な史観といったいわば上部構造を前提とするならそこに決定的な齟齬が生じることになる。その齟齬を明快に明らかにしたこの本は、これが歴史を学ぶ意味だぞ、わかっているか、とわれわれに迫っているのだ。