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最も参考になったカスタマーレビュー
9 人中、9人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
「ふつう」であることの困難さ,
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レビュー対象商品: 清冽―詩人茨木のり子の肖像 (単行本)
詩を目にするたびに、いつも「どきっ」とさせられっぱなしだけど、 本当のところ、どんな人だったのか。 それが知りたくて、この本を読んだ。 まあ、その答えは、 すでにタイトル『清冽』からも 充分にわかることではあったが、 読み始めてから、最後まで、やめられなかった。 戦争の前、最中に生まれた人たちは、 概して、生き方に筋の通った人が多いと思う。 それでも、評伝で「清冽」と言わしめるのは、 やはり、茨木のり子の作品のなかに 映り込んでいる人柄、人格が、そう言わせているのだろう。 詩人である以外は、 ふつうの生活者であった、ということだが、 この「ふつう」であることが困難になってきているのが、 現代だとおもう。 だけど、みんな「ふつう」でありたいと思っているから、 茨木のり子の詩に感激したり、 その足跡をたどったりするのだろう。 それにしても、 これまであげられているレビューで、 よい悪いではなく、茨木のり子の詩を読んだことのない方が けっこうこの本を読まれているのだ、ということに驚いた。 そして、著者には、多くのファンがついていることを改めて確認した。 もっと、茨木のり子が読まれてほしいとおもう。 (えらそうですが)
7 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
詩のない人生は淋しい。,
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レビュー対象商品: 清冽―詩人茨木のり子の肖像 (単行本)
昨夜読み終えた後藤正治氏の新刊「清冽 詩人茨木のり子の肖像」(中央公論新社)は、まさに筆者・後藤氏の「已むに已まれぬ思い」が巻頭からあとがきにまで貫通する一冊だった。茨木のり子の名前は知っていたが、その詩集を読んだことはない。従って、その詩人に興味を抱いたこともないけれど、とても興味深く読み終えることができた。感動さえした。それはひとえに、筆者・後藤氏の「茨木のり子に対する恩義」のようなものが全編に溢れかえっているからだ。 後藤氏は、若き日に茨木の詩に接し、近年になってじっくりと茨木の詩集を読みこむことになったという。詩人が紡ぎ出す言葉は、後藤の背中を押し、生きる力を授けてきたのである。その恩義ある詩人は、若くして夫に先立たれ、晩年をひとりでひっそりと静かに暮らし、そして誰にも看取られることなく自宅で亡くなった。 決して幸福な一生だったとは言いがたい人生を送った、一人の女性詩人の生涯を極めて丁寧な取材でトレースし、後藤は、生前には親交のなかった詩人の素顔に、頬を接するようにして肉薄する。時に哀切であり、また時に粛然とさせられる。 本のカバーをはずすと、扉に、若き日の美しき茨木のり子の写真がモノクロで印刷されている。まだ20代だろうか。笑みを浮かべ、生気に満ち溢れた穏やかな表情を見せている。この美しい女性が、この何十年か後に、80歳を目前にして、東伏見の古くなった自宅のベッド中で一人死んでいったのかと思うと、ひとの一生の条理のなさ加減をしみじみと思い知らされる。 <戦中、敗戦、戦後、現在・・・・時代の相貌は著しく変わり続けた。けれども、いつの世も、人が生きる命題においては何ほどの変わりはないのかもしれない。自身を律し、慎み、志を持続してなすべきことを果たさんとする―――。それが、茨木のり子の全詩と生涯の主題であり、伝播してくるメッセージである。>(p263) 最後に茨木が60代のときに書いた「さくら」という詩を掲げる。 <ことしも生きて さくらを見ています ひとは生涯に 何回ぐらいさくらをみるのかしら ものごころつくのが十歳ぐらいなら どんなに多くても七十回ぐらい 三十回 四十回のひともざら なんという少なさだろう もっともっと多くみるような気がするのは 祖先の視覚も まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう あでやかとも妖しとも不気味とも 捉えかねる花のいろ さくらふぶきの下を ふららと歩けば 一瞬 名僧のごとくにわかるのです 死こそ常態 生はいとしき蜃気楼と> 詩などなくても人は生きていける。だけれども、一編の詩もない人生は、ひとしお淋しいものだと、これを読んでいて思う。
3 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
読み易く分かりやすいが…,
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レビュー対象商品: 清冽―詩人茨木のり子の肖像 (単行本)
私は、茨木のり子の詩を読んだことはない。教科書に掲載されているということなので、ひょっとすると授業で習ったことはあるかもしれないが、それは「読んだ」のではないだろう。ただ、詩人であることは知っていたし、評伝(伝記)一般に興味があるので、読んでみた。本書に引用された茨木の詩が、非常に平易な日常語で書かれているのと同じように、本書も分かりやすく書かれている。著者は、茨木が生前にかかわりのあった人々に話を聴き、詩人として、生活者として、その姿を描いている。ほとんど茨木に好意をいだいた人の話だが、内容は決して不自然ではなく、本書で描かれた人となりは、虚像ではないだろう。その詩に理解ある人々を少なからず得ていたこと、70歳を過ぎて詩集としては異例のベストセラーをもったことは詩人としてはかなり恵まれていたことだろうし、望んだが子どもができず、50歳になる前に夫を失っているものの、結婚生活は全体的に見れば満ち足りており、寡婦となった後も仲の良い親戚や友人・知人がいたことやその暮らしぶりを考えると生活者としても、幸福だったことがよく分かった。 ただ、大きな疑問が一つ残った。 茨木が、なぜ文学、そして詩を選択したのかが分からない。 読み始めて、全体の3分の1ぐらいのところで、その疑問が出てきて、最後まで解決されない。“軍国少女”だった茨木にとって、第二次世界大戦終戦が一つの契機ではあったように思えるが、決定的なものかどうかも不明である。茨木の子ども時代を見ても、文学と深い結びつきを持つにいたった理由は読みとれない。当初は脚本や童話を書いており、そういったものの中に“詩”が欠如していることに物足らなくなり、詩作に転じているが、茨木にとって“詩”が、なぜにそれほど大きな意味を持っていたのか分からない。茨木の詩や著書の読者には自明のことかもしれないが、評伝である以上、やはり本書の中で、著者の考えを含め、それが示されていないのは、残念というしかない。
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