「海戦」の巻末に保阪正康が「丹羽は海軍報道班員としてペンによる戦争参加という役割を担わされている立場での執筆」と言う点を留意するべきと述べているが、留意する必要はないと思う。丹羽さんは、「担わされている立場」という実感は、戦闘中はきっとなかったはずである。
苛烈な任務を黙々とこなし、訓練通りに実行し、すべてをなしとげて帰還してきた第八艦隊将兵とともに、作家として、ともに戦闘したはずだ。彼は立派に「海軍報道部員」としての職責を果たしている。なんらの恥じる点もない、作家によるみごとな海戦の記録と思う。
戦闘の記録は、兵士そのものが語るものと、新聞記者やニュース映画の編集者など、現場を文字や映像で再現した人々によるものと大別される。しかし、作家が海戦の、それもとびきりの激戦の現場にほうり出されて戦いを体験し、生還して著作にする例というのは、めったにないことである。丹羽文雄は、当時すでに定評ある作家だったから、その偶然性はなかなかのものだ。
ミッドウエイ海戦で主力4空母を失ったが、まだ強力な海軍を擁していた帝国海軍。ガダルカナルに上陸したアメリカ軍をたたくため、第8艦隊が急行。輸送船団の護衛にあたる米英豪の連合軍艦隊を撃破した海戦。
彼は、敵弾を受けた旗艦・鳥海の艦橋で、従軍作家としての任務を果たしていたのだ。運が悪ければ戦死していた。それほどの状況だった。
そういう意味では、「海戦」は、作家が直接描いた戦記という点で非常に希少性がある作品なのである。