海底軍艦は旧日本軍が開発していた決戦兵器であり、神宮司大佐は日本の敗戦を受け容れていない。ここのところが分からないと、「海底軍艦」の情感は伝わらないような気がする。
ムー帝国はすでに滅んだ古代の帝国だが、それ故に現代の大国の地上の覇権は当然認めるところではない。むしろ我々ムーの民こそが正統な地上の支配者である。だから、ムー帝国の地上侵略は宇宙人が勝手に攻めてきたとか、そういう「侵略」と同一視すべきではない。彼らは失ったものを取り戻そうとしただけなのだ。
神宮司にとっては、ムー帝国がアメリカやソヴィエトなどの現代の帝国を攻撃したところで無関係な話である。勝手にすればいい。上官の命令がなければ、私は海底軍艦を出動させることは出来ない、それは越権行為である。
突っぱねる神宮司が、いったい何のために海底軍艦を出撃させたか、既にない帝国を背負った神宮司と女王はどんな戦いをしたのか、この映画は単純にSFだとか特撮だとかだけで見ることは出来ないと思う。
無論、円谷特撮は一種夢幻的な美しさを以て物語を描写しているが、激しく深い思いが背景にはあるだろう。勝った勝った、バンザイと叫んでカタルシスを感じるような、そんな映画では、ない。夢のような美しさは、本当は哀悼を表しているのだと思う。