内容(「BOOK」データベースより)
満州族支配下の清代、長崎丸山遊郭、魔性の都上海を舞台に、風流韻事に生き甲斐を求めた中国文人たちと日本遊女が織り成すもう一つの歴史世界。
内容(「MARC」データベースより)
満州族支配下の清代、長崎丸山遊郭、魔性の都上海を舞台に、風流韻事に生き甲斐を求めた中国文人たちと日本遊女たちが織りなす、もう一つの歴史世界。
出版社からのコメント
◆旅情と欲情の日中交流史◆
中国人の理想に「洋館に住み、中華料理を喰べ、日本婦人を妻に」というのがありますが、この日本女性への憧憬は、何故、いつ頃からあるのでしょうか。本書は、元禄から明治にかけての二百年間、清朝中国に巻き起こった日本の遊女、いわゆる「東洋妓女」ブームに注目し、その歴史を探ります。長崎唐人屋敷の繁華、魔都上海の東洋茶館の隆盛、王韜ほか中国文人たちの「風流」を求める放蕩不羈な人生観…。東洋妓女は、春をひさぐだけではなく、琴棋書画、詩詞歌賦を嗜む才女として、多彩な交流の担い手、文化の創造者でもありました。政治外交や交易という大きな歴史的文脈からは見えてこない、その時代を生きた人々の息づかいが聞こえてくる、もうひとつの日中文化交流の歴史世界が鮮やかに甦ります。図版多数。
中国人の理想に「洋館に住み、中華料理を喰べ、日本婦人を妻に」というのがありますが、この日本女性への憧憬は、何故、いつ頃からあるのでしょうか。本書は、元禄から明治にかけての二百年間、清朝中国に巻き起こった日本の遊女、いわゆる「東洋妓女」ブームに注目し、その歴史を探ります。長崎唐人屋敷の繁華、魔都上海の東洋茶館の隆盛、王韜ほか中国文人たちの「風流」を求める放蕩不羈な人生観…。東洋妓女は、春をひさぐだけではなく、琴棋書画、詩詞歌賦を嗜む才女として、多彩な交流の担い手、文化の創造者でもありました。政治外交や交易という大きな歴史的文脈からは見えてこない、その時代を生きた人々の息づかいが聞こえてくる、もうひとつの日中文化交流の歴史世界が鮮やかに甦ります。図版多数。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
唐 権
1969年中国四川省生まれ。1997年留学生として来日。2002年総合研究大学院大学文化科学研究科国際日本研究専攻後期博士課程修了、学術博士。現在関西外国語大学、平安女学院大学兼任講師。研究分野は日中文化交流史、日中比較文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1969年中国四川省生まれ。1997年留学生として来日。2002年総合研究大学院大学文化科学研究科国際日本研究専攻後期博士課程修了、学術博士。現在関西外国語大学、平安女学院大学兼任講師。研究分野は日中文化交流史、日中比較文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
抜粋
そもそも日中両国の民間往来は、十九世紀に入ってから始まったことではない。九世紀の記録にすでに見られる中国商船の日本渡航は、明代後期になると大規模な展開を見せはじめた。明清の王朝交代以降、紆余曲折を経て康煕二十三年(一六八四)に清朝朝廷は展海令を発布し、これをきっかけに中国人の長崎渡航ブームが起きた。その後、幕府が唐人屋敷を設置して、中国からの来訪者を隔離・収容することにしたが、その過程の中で、特別な存在として登場してきたのが、他ならぬ丸山遊郭の遊女であった。というのは、唐人屋敷を出入りする自由が与えらた日本人といえば、唯一、彼女たちだけであったからである。江戸時代を通して、渡崎清人と丸山遊女の邂逅が、同時代のほかのどのような両国間に人的往来よりも、ずっと盛んで、規模もずっと大きい交流の形式であったことは、れっきとした事実である。
東洋茶館が牛荘の街にはじめて現れたのは一八九〇年のことである。しかし、東洋茶館の内部で起きたさまざまな人間ドラマは、その二百年前に長崎唐人屋敷の舞台ですでに開演していた。場所こそ異なるものの、中国文人の目には、両者とも同じドラマの一部として映ったに違いない。そして以下の物語も、まず清代中国人の長崎体験から始めなければならない。(「序章」より)
東洋茶館が牛荘の街にはじめて現れたのは一八九〇年のことである。しかし、東洋茶館の内部で起きたさまざまな人間ドラマは、その二百年前に長崎唐人屋敷の舞台ですでに開演していた。場所こそ異なるものの、中国文人の目には、両者とも同じドラマの一部として映ったに違いない。そして以下の物語も、まず清代中国人の長崎体験から始めなければならない。(「序章」より)