語り手であるマックス・モーデンの現在と記憶を、静謐で抑制の効いた文章と、緻密な構成力で互いに織り合わせられた作品です。その中心として存在するものは、幼いマックスが住んでいた海辺の町にある「シーダーの家」です。最も遠い記憶に刻まれている人々は、彼が幼い頃に其処に滞在していたグレース一家、特に美しい母親、娘そして聾唖者の双子の弟。昨今の記憶に刻まれている人々は、病に侵された妻、娘、そしてマックス自身。そして現在、彼は現在から逃避するかのように、「シーダーの家」で記憶に慰安を見出そうとします。──「わたしのボトルはどこにある。わたしには大きな赤ん坊の哺乳瓶が必要なのだ。わたしをなだめてくれるものが」。
しかし、現在の「シーダーの家」においても、彼は慰安を見出すことができません。彼の行為を懐古的で後ろ向きだと非難することは容易いですが、そのようなことはジョン・バンヴィル自身が充分承知していることであり、全ての人間が避け得ない営為ではないでしょうか。現在と過去の間の絶えざる往来、記憶の変容、こういった営為から逃れられる人は一人としていないでしょう。バンヴィルは、作家としての彼の技術を駆使し、現在、過去そして記憶を明瞭に提示することをせず、ある男の生を一枚の画として織ってゆきます。
この作品が文学の歴史に長く残ることはないでしょうし、作家自身もそれを望んではいないでしょう。しかし、アリステア・マクラウドの作品群がそうであるように、ある時代の心象の数々のうちの一つが現れている優れた小品と呼んで良いのではないでしょうか。