学生時代に初めてこの映画を観たとき、その唐突さや難解さを目の当たりにして理解に苦しみました。なぜゆえに登場人物たちはこのような行動をとるのか?このシーンにはどういった意味があるのか?出し抜けの音楽がいささか耳障りではないか?この話の運び方には無理があるのではないのか?しかし、こうした謎を抱えたまま、この作品のことをなぜか忘れることができなかったのです。後年あらためて本編を観賞したさいに、次第に一つ一つの謎が解けていき、このフィルムの持つ人間造形の奥深さや繊細さに驚嘆しました。また極力独自性のある作品を作ろうとしたジャン・ルノワール監督の創意が伝わってくるようになりました。
ある意味で理解しがたい異常心理がテーマとされているので、ジャン・ルノワール作品としては異端の部類に分類されがちなフィルムです。が、実は最もルノワール的な要素、すなわち葛藤に満ちた人間の生き様と、それが人間が生を営む背景である大自然と緻密に呼応し合いながら情感あふるる映像として立ち現れているといった意味で最もこの巨匠監督らしいフィルムの一つであるとすら言えるのではないでしょうか。また登場人物の一見異常な心理や行動にも、これらの人々が経てきたであろう人生の変遷をかんがみれば次第に理解を示すことが出来るようになります。海底の悪夢、靄立ち込める浜辺、心かき乱すような海のうねり、降りしきる雨、難破船の中での密会、そびえ立つ不気味な崖、カモメの叫び、燃え尽きる家・・・。どれも登場人物の不安定で助けを乞うかのような複雑な心情とリンクしていて、いずれにも強い象徴性を加味した印象深い演出が施されています。
『飾り窓の女』のジョーン・ベネット、『大いなる西部』のチャールズ・ビックフォード、『危険な場所で』のロバート・ライアン。これ以上の顔合わせがないような演技陣のすばらしさ。彼らの屈折した演技と存在感を大胆かつ繊細に織り合わせていくルノワールの文句のつけようの無い力量。まさにこれはルノワールが思い切って撮りあげた孤高のアヴァンギャルド・ピース。かのフランソワ・トリュフォーに「好奇心をそそられる興味深い作品で、台詞以上に登場人物の行動こそが物言う純粋なフィルムであるところに惹かれる」と言わしめたほど、ヌーベルバーグの旗手たちも本編に少なからず刺激を受けたと言われています。
これまで多くの批評家に「曖昧な失敗作」、「馬鹿げたフィルム」などと酷評されてきたいっぽうで、『NATION』誌のマニー・ファーバーや『LES CAHIERS DU CINEMA』誌のジャック・レヴェット、『TIME OUT』誌のトム・ミルンなどの大物映画評論家らが本編を傑作として賞賛し、伝記作家のロナルド・バーガンをして「40年代ハリウッドの暗黒映画(おそらくはフィルム・ノワールの意味)の魅力的な好例でありつづけている」と言わしめた理由が今になってわかるのです。ルノワール監督は時代を先取りし過ぎてしまった訳ですね。2010年度版の『RADIO TIMES GUIDE TO FILMS』はルノワールのアメリカ時代の力作としてこのフイルムを高く評価しています。フランス映画に造詣が深く、『LES CAHIERS DU CINEMA』誌の同人でもあった山田宏一氏も「すばらしい作品」と本編を称えていますが、それも納得の出来栄え。
ちなみにこのDVDバージョンはニューマスター版とのことですが、いささか画像が悪いのがたまにきず。また冒頭RKOのロゴが出てから荒々しい岩場が映し出されカメラがパンして水面をとらえながらクレジットに移行するあたりのダイナミックな導線がぶつ切りにされているところも残念です。美しい画像を保ったより完璧なマスターフィルムも現存しているようなので、ぜひそれをもとに再DVD化をお願いしたいところです。