日経の将棋欄に、全くつまらない観戦記が載せられていた。あまりのつまらなさに筆者は誰か見ると、朝吹真理子とある。知らない名だったので検索をかけ、図書館からこの本を借り出した。
最初は読めたものではない。話の筋がわからず、何を書いているのかさっぱりわからない。しかし、ページをめくっていくうちに、突然すっと読めるようになったのには驚いた。再び、何がどうなっているのかさっぱりわからない。狐につままれたように感じ、一旦本を閉じてどういうからくりになっているのか、見定めるために最初から読み返す。
読み終わった今、感想としては、(ふざけた奴だな。)としか思えない。この人の長所は文体にある。一種独特で、普通の散文を読むのではなく、「今様」や「短歌」を読むようにリズムをとりながら読むと、すっと頭の中に文章が入ってくる。
しかし、これほどの仕掛けがありながら、語るべき「物語」が聞こえてこない。この人は物語を紡ぎだす能力は持ち合わせていないのだろう。
物語を紡ぎだす力は持たない、しかし文章は書きたい、ではどうすれば良いのだろう。大抵の人はこの類の文章を読んだことがないだろうが、実は元があるのである。この文章を見ていて、シュルレアリスムの詩や小説、例えばアンドレ・ブルトンの
シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)を思い出す人も(特にフランス文学に親しい人は)、おられるだろうと思う。もうすでに使う人もあるまいと思われた自動記述の技法を用い、自分がこれまで貯めこんできた古典から近代日本文学のありとあらゆるテキストの素養を触媒に使って生み出されたのが、この「語るべき物語のない小説」の正体である。
故に、私個人の願いとしては、この人の詩を読んでみたい。この人の才能から考えて、もっともふさわしいのは詩だと思う。