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洞山―臨済と並ぶ唐末の禅匠 (唐代の禅僧)
 
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洞山―臨済と並ぶ唐末の禅匠 (唐代の禅僧) [単行本]

椎名 宏雄
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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

かれは今まさにこのわたしだ―「過水悟道の偈」で知られる洞山良价は一千年以上もの歴史と伝統を誇る曹洞宗の宗名の由来とされる禅匠。生涯の大半を行脚と遍歴に捧げ、後に多彩な門弟たちを育成した洞山の伝記と人物、真の思想禅風を、主として『祖堂集』などの古い機縁を通じて明らかにする。

出版社からのコメント

渠今正是我 かれは今まさにこのわたしだ----「過水悟道の偈」で知られる洞山良价(とうざんりょうかい)は一千年以上もの歴史と伝統を誇る曹洞宗の宗名の由来とされる禅匠です。生涯の大半を行脚と遍歴に捧げ、後に多彩な門弟たちを育成した洞山の伝記と人物、真の思想禅風を、主として『祖堂集』などの古い機縁を通じて明らかにする画期的な1冊です。

登録情報

  • 単行本: 316ページ
  • 出版社: 臨川書店 (2010/11)
  • ISBN-10: 4653039976
  • ISBN-13: 978-4653039976
  • 発売日: 2010/11
  • 商品の寸法: 19.2 x 13.6 x 3.4 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 2.5  レビューをすべて見る (2件のカスタマーレビュー)
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今日に至る日本文化に多大な影響を与えたと言われる禅。
日本に本格的に禅が伝来する以前、中国では多くの禅の巨匠達が現れ、彼等が堂頭を務める各地の僧堂は禅僧達が雲集し活気に満ちていたといいます。
本書はそんな禅の巨匠の一人、洞山良价を中心に当時の中国禅の雰囲気を比較的わかり易く紹介してくれます。
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本書の著者は、洞山の禅の発語を全く読めていません。言うまでもなく、洞山の「洞」の字は、曹洞宗の洞の字です。宗旨をこれほど疎(おろそ)かにしている書物を堂々と出版して、何ら恥じるところが無い、というのは、日本曹洞宗という教団の、滅亡宣言に他なりません。

多くの禅学者が、禅録を読む際に、有限によって無限を読んでいますが、そういう読み方では、禅録を読むことは出来ません。無限によって有限を読んで、初めて禅の意味を結びます。

私は道元関係の本を多く拝見していますが、訳者たちが全て同様の誤りを犯しています。

それには、長い過去の来由があります。即ち、法・Dharmaの代りに釈尊を立て、法の代りに仏を立て、法の代りに三宝を立て、法の代りに法系譜を立て、法の代りに坐禅を立て、法の代りに道元を立て、法の代りに宗派を立てて来たからです。

それらは全て、自我の構造の問題であり、歴史として見れば、自我の構造を正しく「法仕様」に整えて来なかった、錯誤の歴史です。

自我の構造が無限に繋がっていなければ、有限によってしか、禅録を読めません。

キリスト教には、ecumenicalismがありますが、釈尊の遺誡に従えば、現在の日本仏教各宗派は、ひとつになるべき筈のものです。そうならない理由は唯ひとつ、坊さんたちの宗教力不足です。

釈尊のオリジナルの宗教は、現在の仏教各宗派を、「根源から、包括して、統一する」宗教です。丁度、Swedenborgの「真のキリスト教」が、キリスト教各宗派を、「根源から、包括して、統一する」ように。

Swedenborgによって、Martin LutherもJean Calvinも、地獄に居ることが目撃されています。道元が今、釈尊と一緒に暮らしているかどうか、分かる人には分かると思います。

分からない方々の為に記しますが、道元が法・Dharmaを創った訳ではありません。法を創造されたのは、神エホヴァである主イエス・キリストです。

道元は、自らを「真宰(しんさい、天地を主宰するもの)」の位置に置き、本来、人の力によってどうこう出来るものではない法を、坊主の果てしない優越欲求・完全欲求から「改竄」し、それによって、後学を誤りました(間違って導きました)。別言すれば、法を私物化・appropriateし (AC3670-2の後半) 、それに恣意的な抽象を加え(法の分節の多用)、自己の慾念から発している幻想の為に加工して、後学を「支配」しました。

この種の脱線は、道元に限りません。仏教史の殆ど全てが、錯誤の歴史です。例えば、華厳も、人間が犯した大いなる過ちの一つです。他は、推して知るべしです。
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