「本書では、……水泳を科学的に分析してきた成果を読者にわかりやすく紹介することを
目的としています。……また、それら科学的知見を踏まえ、泳ぎを分節化し再構築する
ことにより、なかなか自分では変えられない水泳の型を劇的に変える『ビルド』と名づけた
トレーニングを紹介します」。
表題そのものの「泳ぐことの科学」、研究の知見を具体的に分かりやすく論じることに
おいては一定の成果もあるし、本書で繰り返し強調されるように、考えること、意識づける
ことから上達を目指すのならば、それ相応に優れたテキストだとは思う。
ただし、入門書としては、どうなのよこれ、と疑問に思う箇所もしばしば。例えば、
「クロールの肩の使い方に関しては、力を効率的に発揮するために肩関節をニュートラルな
(力を抜いた)位置にして、指先から腹筋までチェーンでつながったような状態(意識)で
コアを使ってストロークします。……脚の爪先から腹筋までチェーンでつながった状態
(後ろへ蹴るというよりすばやく蹴り上げる意識)でコアを使ってキックします」。
……こんなこと、できねえだろ、普通。
もちろん、そうした水準に到達することを目指して、「考えている動作(脳動作)と、
実際に行う動作(実動作)を近づけ」るための方法論として、本書の核となる「ビルド」を
紹介していることは分かるが、それにしてもハードルが高すぎやしないだろうか。
むしろ本書の長所は今日の最先端のスポーツ界の風景を描き出したことにある。
「水泳界は、天才的な選手一人の力でメダルを取れるような生易しいものでは決して
ありません」。
傑出した素質に対して適切な知識や資源を投入して、ようやく成果は勝ち取られる。
どんな業界であろうとも、当然に過ぎること。
しかし、「選手がひ弱」と放言した
某陸連幹部がその典型、およそ知恵を欠いた家畜の
精神論が跋扈するのが現代日本の典型風景。その一方で、そもそも思考するという習性を
持たない人間未満の老害を尻目に、「選手とコーチが双方向で頭で考えながらお互いに納得
し合って成長していく『自由な時代』」のスポーツ像を描き出し、またその実践の可能性を
一読者にも提示して見せたのがこの一冊。
スポーツ科学の現場を紹介したテキストとしては、まこと秀逸な一冊。