毎日新聞の記者であった1930年生まれの徳岡孝夫と1946年生まれのコラムニスト中野翠があわせて40の随想を交互に綴った一冊です。
まずもって、なにゆえ徳岡孝夫と中野翠なのでしょうか。
その理由は書内でも明らかにされていません。世代的にも経歴の面でも共通点のない二人が綴る文章には、やはり類似点は見られません。
造詣が深いとされる落語の話や、現役コラムニストとしての交友関係の中に探った思いを記す中野の文章は、良く言えば軽快で気軽に読めるものですが、さほどの深みを感じさせるものではありません。
一方、徳岡は、あとがきで中野に対して「私が優位に立てるのは一つ、見て来た過去の長さだけである」と必要以上に謙遜して書いているのですが、まさにその一点において中野の文章を大いに圧倒しているといえます。
今年で82歳になる徳岡の筆が紡ぐのは、決して来しかたを懐かしむだけの文章ではありません。中野の文章に比して徳岡のそれは、ジャーナリストとしてベトナム戦争や赤軍派の報道に携わった、いわば切った張ったの時代をくぐり抜けた人物ならではの人生の厚みや広がりが感じられ、まさに名文見本といえるものです。
そして徳岡の各随想文の最終行が読ませます。文字数を削ぎ落した簡潔な短文でありながら、人生のどこまでも奥深い機微を感じさせる文章にうならされるのです。
「泣ける話」や「笑える話」というほどの文章かというと、その点には頷けません。売らんがために出版社が付けた書名なのでしょうが、読了後には、タイトルのつけかたとしてはおよそ見本にはならない代物だという思いが残りました。