この作家の文章は、いろんなイメージを豊饒な語彙に置き換え、詩的に音楽的に配置していったという感じがする。あるいは伝統芸能や演劇の影響もある。
だが難解で読みにくい。あるいは日本近代文学の形成過程で置き去りにされた文学の一つであり、それゆえに貴重とも思われる。
奇妙なことだが、文章のつなげ方などは、どこか大江健三郎などにも似ているように感じられる。
本書の中でちゃんと面白いと思えたのは「高野聖」全部と「歌行燈」の一部だけだった。
読みにくさの原因は、修飾が多くて省略も多いからだろう。文章の言わんとすること、いったいどういう状況なのかが分かりにくい。
もしかすると、明治の人々の感性と知性があれば、よく飲み込めるのかも知れないが。詳しい解説が必要だ。