この本を読んで、”何か書きたい”という気持ちが、湧きあがってくるのだけれど、どこから書いたらいいのだろう?
文というか論理って、自分の気持ちのフォーマットと日本語がもつフォーマットを使って、その対象に光を当てる行為だから、
どうしても、一筋縄になっちゃうんだよね。
でも、この本に登場する人々は、
自分と相手とそこでおきるコミュニケーションが一筋縄でいかないことに悩みたおした達人たちばかりだから、
何か書こうとすると、こぼれ落ちるものが多すぎる、、、
そういえば、本書の中にも「ざるで水をすくうようなことはもうやめた」という意味の文章がでてきました。
うまく書けないので話をかえるます。
著者の斉藤道雄さんの手柄は、言葉によってカテゴライズすると、どうしてもこぼれ落ちていく現象を細かい注意を払うことによって、
実際に”ぺてるの家”を見たことのない僕らにも、伝えてくれているところだと思う。
たとえば、ぺてるの家では、自らの診断で自らの病に名前をつけます。
「統合失調症・幻聴さんと私の共依存タイプ」だとか「全力疾走型」だとか。
これは医者や治療といった立場から与えられる診断に対する、やわらかな拒否だと感じました。
もしくは、自分と病とを寄り添わせてゆく覚悟もしくは、準備だととりました。
そうもう、自分の↑この短い文章さえ、気にくわないのです。
寄りそうと決めたなら病とは自己の一部分のことなので、それは病ではなく愛すべき自分のことのはずなんだよね。
もっとよい書き方があるはず、だけどこんな”一筋縄でいかなさ”を僕は、書きたかったのかもしれません。
そしてこの一筋縄でいかなさを、僕の問題として捉えると”繰り返してしまう私”になるとおもう。
最後になりますが、この本の著者もペテルの家も”言葉”にはすごい気をつかっているのが、読んでわかる。
ここで働く人たちのやさしい眼差しや、面影までが見えてくるようです。
自分に何ができるかも考えました。