プロ野球・阪神タイガースの核弾道として活躍され、昨年暮れにケガに端を発する34歳の若さでの電撃引退をされた、赤星憲広さんの苦悩の末の引退への決断を綴る。
昨年暮れの電撃引退報道に驚いたプロ野球ファンも多かったことであろう。
原因は2009年9月12日の対横浜戦での内川選手の大飛球を追ってのダイビングキャッチによる脊髄損傷である。
が、そもそもの全ての発端はそれ以前からの慢性的な「頚椎(首)椎間板ヘルニア」や9年間の勤続疲労が積み重なった末の出来事であった。
ファンの目にはあまりにも突然の引退に映ったが、当の赤星選手にとってもそれは同様のことだったらしい。
年俸の減額の話かと思って赴いた球団との11月末の話し合いで予想もしていなかった「引退勧告」を受ける。
赤星選手自身も自分のケガの状態が軽いものではないことは自覚はしていたが、球団の把握はそれ以上に深刻な事態と捉えていた。
本人はリハビリを開始して復活に向けて始動していたので、突然のことに混乱。
この本を読んで初めて知るのだが、赤星選手は元々「頚部脊柱管狭窄症」という、脊椎を守るためのクッションとなるべきスペースが人よりも少ないため、
衝撃を受けた際にダメージを食いやすい体質だったそうである。
その体質でダイビングキャッチなどのプレーを行ったことが結果的に赤星選手の選手寿命を縮めることになる。
だが、常に全力プレーをモットーとする赤星選手にとっては、グランドに立った以上は常にファンに全力の自分を見せねばならなかった。
そして運命の2009年9月12日。その事件は起きたのである。この日が赤星選手の現役最後の公式戦出場となった。
9年間の現役生活で6度のゴールデン・グラブ賞。通算381盗塁は阪神球団の最多記録である。
正に塁上を駆け抜ける「赤い彗星」が如く、全力疾走の9年間の現役選手生活であった。
多くの人が彼の突然の引退を信じられず、ある者は惜しみ、またある者は悲しんだ。
だが、私はむしろケガによる半身不随や一生の車椅子生活、最悪に至れば「死」という状況を回避できたことを喜んでいます。
プロ野球選手「赤星憲広」よりも、プロ野球選手ではない「赤星憲広」のほうが人生の中ではずっと長いはず。
現役時代から病気の人たちに盗塁の数だけ車椅子を寄付していたくらいの赤星選手です。
喩えその肩書きから「選手」が取れて、「コーチ」になろうとも「監督」になろうとも、或いは「評論家」となろうとも、
きっとまた新たな目標を見出し、人生における新たなる挑戦を開始してくれるはずです。
「陽はまた上る」。赤い彗星の第2の人生が、幸多く恵みの多いものとならんことを願って。乾杯!