いわゆる異次元宇宙とか、その辺の根幹の話です。
神は無から生まれ、空という無限の創造が行われる一種の工場を作りました。
無と空と事象、神や仏、菩薩、その辺の解釈です、この本は。
しかし、不思議なことにこれぞ仏教という感じなのに、矛盾を隠せない事柄があります。
体得すれば言われている感覚を持ち、矛盾が消滅し、これぞ真理と思えるが、言葉で表現、説明するだけだといつまでも矛盾が生じ、論破されてしまうというふうな。
どうやら仏教、少なくともこの本の解釈は、無という空間の解釈で終わっていますが、じつに不思議なもんです。
神を生み出した、ところによっては「○○ポイント」「仏」「○○がそこにはいる」などと表現する無の空間ですが、
無というのは実に不思議であります。
いわば、0ですねぇ。
空というのは、事象がないながらも、空き瓶のように、「事象を生み出すエネルギーは充満しているが、事象がなにもない場所なため、一見すると空を無と錯覚してしまう」というふうな空間。
そう、無という空間が神を生み出した、というのならば、神を生み出した何かが無にはあるはずなんです。いや、あってしかるべきです。
ところがそれをまるごと否定し、無はどこまでいっても無である、エネルギーすら、本当になにもない空間が無である、無はすべての始まりである、と言っておるのです。
おかしいですよね。
すべてのものには、その存在を創りだした何かの、大元の型があります。
無にもあってしかるべきです。
で、なければ、無という空間は存在しません。
0もそうですが、0という数字、0という意味を持ってしまっている時点で、既に何者かに創りだされた存在、0や無こそがすべてとはいえない。
真に無であるならば、どうにも表現できないはず、しかし何かしらの表現ができてしまうということは、無のようで無じゃない。
真に無であるならば、永久的に無であるならば、神なんて存在はでてきやしない。存在がなにもないからこそ、無であるのに、その無から存在が出てきているという。おかしな話でしょう。
神が無から生まれたのならば、無の奥の、誰も知りえない超常の未知なる空間から、無に神を生み出すよう命令を発信した何かが、いるはずです。
ではその超常の空間こそが、すべてのはじまりかというと、違う。その超常の空間でさえも、何者かに創られた。
すべてを生み出した根幹や骨があるはずなのに、その根幹や骨はではいったいどこからやってきたのかという話にどうしてもならざるをえなく、絶対に、必ずすべてのものを動き出させるスイッチを押した何者かがいるはずなのに、ではいたとしてその何者かはいったい・・・というふうな話になり。
無こそがすべて、とおさまることはけっしてできないんですよ。
仮に神というものが無という空間の代弁者だったとしましょう。しかしそれでは無という空間が無ではなく、ただの無という存在に成り下がってしまう。
無という空間から神は生まれました。神は自身の姿に似せて人を創りだしました。人でなくとも、神は無限の創造を開始するべく空という空間を創りました。すべての万物は、空から生まれてきました。
所詮神から、空から創りだされた存在は、無の境地を超えることはできぬのでしょうか。
歯がゆいですよ、これは。
無限の創造とひとくちにいったって、必ず、いや絶対に始まりというものがある。無限の創造のスタートをきった一番手がいる。
現世という空間、死後という空間、宇宙という空間、空という空間、無という空間、どこまでいっても、そこが「空間」であることに変わりがない!!
なんだかこのすべてが一種の壷に思えてさえきました。
無という空間すらもおさめた一つの壷、しかし壷が置かれた場所には外界があり、その外界すらも大局的見地からすれば壷になる…。
突き詰めてください、体得しないとわからない神秘性を嫌というほど実感するでしょうから。