千住小塚原回向院で始まり、鈴ケ森の刑場で、著者は近代都市東京にくみしかれた江戸の街を散策し、その情緒を嗅ぎ分ける。江戸は水の都であった。その文化は自然環境が大前提であった(p.88)。
くわえて江戸は東北の鬼門に寛永寺、反対側の南西に増上寺、外堀にそって山王社、反対側の外堀に神田明神(総鎮守)、北斗の方向に日光東照宮を置く、平安京(風水に守られた)を模した都市計画のもとに作られた街だった(p.154)。
「さらに外側には、吉原遊郭、品川の遊里があり、・・・浅草には弾左衛門という穢多頭がおり、車善七という非人頭がいた」(p.200)。渡来人が大挙して入植した浅草、魚河岸と商いでにぎわった日本橋界隈、江戸時代に埋め立てられた新しい入植地深川。魅力的な都市だった。
大名が出入りした名残である上屋敷、中屋敷、下屋敷は、現在では大学、庭園になっている。かなりまえ、東京を散策して知った場所がたくさん出てきたが(門前仲町、根津神社、小石川後楽園など)、整理がついた。