江戸時代、今の関東地方をほぼまとめる職であり、名前でもある「弾左衛門」というものがあった。
「弾左衛門」については、同じ著者である塩見氏の「弾左衛門とその時代」などを読んで欲しい。
タイトルの「車善七」は、その弾左衛門の配下にあり、配下の者たちをとりまとめる頭であった。
「弾左衛門」も世襲であったが、「車善七」も世襲であった。
この著書は、「車善七」というタイトルがついていながら、あまり「車善七」の詳しい像について書かれていない(著者もそれについては本の中で書いている)。
詳細について、残っている物が少ないということもある、不思議な存在とも言える。
その「車善七」についての姿(住んでいた場所、古い文書に書かれた車善七、その由来や成り立ち)を探り、追いながら、同時に「車善七」が存在していた頃の江戸(主に、現在、「下町」と呼ばれている土地)についても、古地図を元に書かれている。
吉原や御仕置場(牢や刑場)、町(村)ぐるみの移転などについても書かれており、車善七のその住まいなどの図も(数少ないながら)残っていて掲載されている。
弾左衛門の配下から、抜けたかったらしく、何度か奉行所に訴え出ている。
その次第も(記録として残っている範囲で)書かれている。
訴え出たものの、死罪になり、遠島(島流し)にされた者たちもいるという。
世襲で続いた「車善七」の制度は、明治の維新を迎え、身分の解放令が出され、一般の平民たちにも名字が許された頃に消滅することとなった。
「弾左衛門」もそれは同様である。
「弾左衛門」については、何代まで続き、そして最後の弾直樹(改名後の名前)の写真まで残っているが、「車善七」は何代目で終わったのかも、そして制度が消滅した後の行方もわからない。
ただ、この著書からは、著者が追った「車善七」に関係のある様々な「江戸時代」が読み取れ、興味深い。
奉行所の裁きや、処刑などについて(写真と絵が載っており、少し怖かった)は、現在の裁判所や警察の「もと」が出来ていることがわかるし、囚人以外にも、生活の出来ない人たちを収容する施設などもあって驚いた。
その世話なども「車善七」とその配下の者がしていたし、彼らが守らなければならない規則(木綿の着物以外は着ない・仏事や祝事は控えめにする・あやしい者は置かない…などなど)もあったという。
江戸時代から明治維新とその後についても、考えてもみなかったことが書いてあって、そんな時代のことを書いた本も読みたくなった。
「弾左衛門とその時代」も合わせて読むと面白いと思う。