内容紹介
1本のフィルムがすり切れるまで上映された「私たちの」物語 「言葉よりも映像の方が嘘をつかないから」 名匠フェルナンド・ペレス監督が、「キューバ映画史最も大胆な冒険」として映像と音だけで綴った「永遠のハバナ」。最大の娯楽を求めて映画館に集まるキューバの観客に、この静かな作品が受け入れられるかどうか、という監督の不安は、2003年8月にハバナで公開されるや嬉しい誤算となった。宣伝が全くなかったにも関わらず、口コミでロングラン。1本しかなかったフィルムはボロボロになり、全土で30万人を動員。そして、毎回エンドロールが流れるたびにスタンディング・オベーションが起こった。 俳優は1人もいない。自分自身を演じる無名の人々の生活とハバナの街。 政治家やミュージシャンではなく、この街の8割を占める無名の人々こそが、ペレス監督と観客にとっての 「ハバナ」なのだ。 ジョン・レノンのブロンズ像を守る人々 2000年12月8日、レノンの20周忌に除幕式が行われたこのブロンズ像。その翌日、早くも丸メガネが盗まれた。像を守るために、当時は、昼も夜も雨の中も、市民が交替で見張っていた。 「人は僕を夢想家というかもしれない。けれどそれは僕だけじゃない」 ブロンズ像の足下に刻まれた名曲「イマジン」のフレーズとジョン・レノンは、 夢を追い続けるハバナの人々が守り抜きたい砦なのである。 永遠の名曲「キエレメ・ムーチョ」 厳しい現実と相まって、マレコン通りに激しい波が打ちつける朝。(実際、この通りは、常に水浸しである)そこにオマーラ・ボルトゥオンドが歌う「キエレメ・ムーチョ」が流れると、キューバ人の誰もが目を潤ませる。 監督からハバナへの愛の告白を締めるにふさわしいフレーズがそこにある。 「遠く離れては暮らせない。本当に愛し合っているのなら」
監督について
1944年ハバナ生まれ。ハバナ大学文学部卒。 映画制作に関わったのち、1971年からサンティアゴ・アルバレス、トマス・グティエレス・アレアの助監督として スタートし、その後、ドキュメンタリー作品を監督する。 1987年、初の長編監督作品「危険に生きて(原題:Clandestinos)」で、数々の受賞を果たし、4作目の 「口笛高らかに」(日本未公開/NHKBSで放映)で サンダンス・NHK国際映像作家賞ほか受賞、5作目の 本作品は、スペインのサン・セバスチャン映画祭で、 ドキュメンタリーでは初のオープニング作品となる。