夫婦による創作・装丁ユニット〈クラフトエヴィング商會〉の吉田篤弘が個人名義で出版した短篇小説集です。
収録作は「雨を聴いた家」「水晶萬年筆」「ティファニーまで」「黒砂糖」「アシャとピストル」「ルパンの鼻眼鏡」の計6篇。タイトルの字面をみただけで、おもわず食指が動いた人は、すんなりと都市の片隅の迷路に足を踏み入れて、懐かしい昭和の時代の名残りをとどめた不思議な気分にとっぷり浸ることができる読者かもしれない。
そうだなあ、たとえるならば、内田百間、稲垣足穂、金井美恵子、村上春樹、山尾悠子、小川洋子、川上弘美などの文学的系譜につらなる知的で瀟洒な都市幻想の世界がお好きなかたには、かなり楽しめそうな感じがします。特筆すべきは、飄々としたユーモアのセンスが随所に顔をのぞかせていること。ことば遊びの要素もなかなか気が利いています。
もう書くことが楽しくてほんとうに仕方がない、という幸福な書き手のよろこびが、おのずと伝わってくる文章ですね。これだけは書いておかねばならないといった切実なモチーフや素材が存在しなくても、小説はこうして書けてしまうものだ、ということに納得させられる。
親本は、2005年に朝日新聞社から刊行された『十字路のあるところ』です。そこから坂本真典のモノクロームの写真を省いて文章に加筆訂正をしてあるとか。これは私見ですが、中公文庫版のほうが、こぢんまりとしたたたずまいが好ましい。