長崎発小倉行き、特急「
つばめ」の豪華そうな黒い人工皮革製の座席を、ウエットティッシュで拭いたら、真っ黒になった。
うげ、きたねえ。気になって、広範囲に拭いたら、何枚取り出して拭いても、激しい汚れだ。JRの野郎め。清掃くらいしたらどうなんだ。
そう思ったのだが、注意してみると、座席だけではない。美しいデザインに隠れてよくわからなかったが、木目の床も汚れているし、曲面処理してある、白い内壁も汚れている。それどころか、書の作品を掲示して、おしゃれに処理している、通路連結部分も、あらゆることろが、清掃が行き届いていないのだ。
これって基本的には、JRの問題なのである。
でも、かつての特急車両で、これほどまでに不潔な状態が目に付いたことがあっただろうか。なかった。
これはつまり、この列車が採用したデザインそのものに、必要な機能以外の余計な装飾が施されていることが直接的な原因なのだと、考慮せざるを得ない。
「白いつばめ」に関していえば、人工皮革を採用して、上半身におしゃれな黒帯で巻いている装飾や、乗車券を入れておくポケット。なにより、座席のデザインそのものが、はなはだ清掃しにくい作りになっているとしか思えない。
簡単には清掃ができず、清潔を保つことに、多大な労力が必要になるからこそ、JRの清掃作業が行き届かなくなっているのだ。
無味乾燥な列車車両に自由なデザインを施して、美しく劇的に変身させて、乗客や子供たちに夢を与える。その職能を貶める意図は、ないけれど、最近、水戸岡デザインの車両に対する、実用性の低さを、誰かがどこかで注意していたほうがいい。
そう、思うようになってきた。
列車車両や車内は、毎日連続で使用する実用品である。装飾品ではない。だとすれば、日常車両に求められるのは、夢や装飾ではなく、実用的な機能。その果てに導かれる「機能美」こそが、デザインなのではないのか。
デザインの本質を誤っているからこそ、不適切な素材、汚れやすく清掃しにくい素材を多用し、同時に、実用からはかけ離れた、幼稚な美学を追求しているのではないのか。そうも思いたくなって来る。
そう考えると、「白いつばめ」を例にあげると、座席の形状と素材は、清掃には不適切であり、床に板材を使う場合は、乗客の移動方向と同じ縦の列線でなければならない。あるいは、板材の採用を見直して、ありふれたリノリウム床に戻すべきだ。連結部分のこざかしい装飾は不要で、座席数を確保してほしい。列車内面下部の内側に回り込む曲面は、できるかぎり直線にしてほしい。なにより、汚れがつきにくい壁面であってほしい。
つまり水戸岡さんの装飾(あえてデザイン=機能美とは言うまい)とは、、完成時に最も美しい現代建築のように、年月を経るに従って、劣化と愛着が薄らぐ美しさというほかない。
「白いかもめ」を降りて、門司港の九州鉄道記念館に陳列してあった、日本車両製造の日本国有鉄道 クハ481 603号、特急「かもめ」(昭和30年代に就役)の内装を改めてみると、簡素な中に、実用性が高い、もちろん清掃しやすいので清潔感が常にある。今見ても古びない機能美だ。
水戸岡さん。これからは、使い込まれるほど美しくなる車両デザインをお願いします。