人の思想信条の自由を全く考慮せず、櫻井さんの考える「気高く、強く、美し」い「日本の伝統」を国民に植え付けようとする極めて危険な思想の本である(気高くない人、弱い人、美しくない人は生きていてはいけないのだろうか?そもそも、その基準は誰が(国家権力が?)何を基準にしてどのように決めるのか?そういうことを櫻井さんは一瞬でも考えられる公平性を持っているのか?冷静に考えて、自分にとっては強いアイデンティティ(例えば、日本民族の血が大事なのだなどのイデオローグ)でも、他者からはただのエゴにしか見えないという日常的な風景が視野に入っていない櫻井さんは視野が狭い)。
自分の生きる意味を国家から与えてもらって良いという、洗脳されやすい人にはお勧めである。人の生きる意味は多元的であり、自分の生き方は自分で決める、様々な言論で提示されたものの中から自ら切り開き、思考し、自分で選び取るという方には、全くお勧め出来ない。
ちなみに、日本国憲法は、表現の自由という人権を大事にしている。その理由について参考になる文章を以下抜粋する
「「集団偏向group polarization」は、(中略)、同じような意見や傾向を持った人々が集まって討議を重ねると、最初よりも、その意見や傾向が過激化するという現象で、宗教上・政治上のセクトにしばしば見られる。ある問題について、一定方向に向けた議論ばかりが提供されると、それに説得されて各自の立場がそれらにつられるという事情や、周囲の人間に気に入られたい(嫌われたくない)という気持ちから、各メンバーが集団全体の方向に合わせて意見や態度を変えていくという事情が、この現象の原因として考えられる。
この現象が民主社会にもたらす影響を考察したシカゴ大学のサンスティン教授は、この傾向は、マスメディアの視聴行動にも、また、インターネット上のディスカッショングループにも顕著に見られることを指摘する。こうした現象が好ましくない結果をもたらすことを避けるには、マスメディアの場合も、また、ディスカッショングループの管理者の場合も、なるべく多様な意見を紹介し、単に周囲の人間がそう思っているからだというだけではなく、根本の論拠にさかのぼって真剣に問題を考える態度を養うことが重要である。
表現の自由がもつ公共財としての性格に着目するならば、単に各自がいいたいことを言う自由が保障されれば足りるというわけではないことが、こうした問題にも示されている。」(長谷部恭男「憲法と平和を問いなおす」より)。既に櫻井よしこによる「洗脳化」による国民の愚民化は、粛々と進行している。危険である。櫻井よしこが「善意の人」であるだけに、なおさら危険である。世の中で最も怖いのは、「自分って素晴らしいことを言っている」と勘違いしている人間である。
ちなみに、「
母べえ 通常版 [DVD]」という吉永小百合さん主演の映画がある。治安維持法下での戦前、戦中が時代背景の映画である。櫻井さんが、この映画を見て、まだ憲法に愛国心がどうの、日本民族の誇りがどうのこうの盛り込もうと言うのか、反応を見てみたい(憲法は国家権力の有り様を規定する。その使い方では人の命や尊厳を損なう。従って、恣意的な自然な感情の発露を憲法に盛り込むべきではないのは当然である)。まともな筋の通る話の分かる人間かどうか、その時真価が分かる。TVで人気だからと言って、正気の人間とは限らない。