・全体的な書評
最近の宮台氏は盛んに任せる政治から引き受ける政治へ、権威主義から参加主義へという事を言っている。これは多分に民主主義的な提言で、言ってしまえば民主主義として当然と言えば当然な所がある、理想としては。しかし宮台氏も恐らく楽観してはいないように、少なくない日本の国民はこれを聞いても「おっしゃガンガン引き受けて参加していくぞー!」という気にはならないのではないか。私ですら少々たじろぐ所があるわけである。つまり民主主義の理想を貫徹するなら政治を引き受けていく事は当然に必要な事なのだが、当然にその荷は重い。それはしんどく、嫌だという正直な感情が多くの人にはあるはずだ。あるいは意志としてはやる気があってもその能力がない可能性。そういう現実がもし大きくあるとすれば宮台氏は民主党と共にいくら盛んに「引き受けよう、自分で監視しよう、参加しよう」と叫んでも肝心の国民が(私を含めて)ぐてーっだらーっむりーっとなって、そのままそれが続くという悲惨な事態がありうる。だるいし、時間もないし、面倒で、自分にその力もあるとは思わない、といった具合に。これは恐らくかなりの可能性でありうる。宮台氏も馬鹿ではないのでその可能性は考えている。前書きから既にその危惧は書かれている。
「下手をすると、いつまで経っても大目的を定められず、その都度の目的やルートを適切に指示できない「自分自身」に、嫌気がさした乗客たちが、全てを運転手のせいにして、頬被りをしかねない。それどころか「考えないで、俺に任せろ」という馬鹿な運転手に、再び「丸投げ」しかねない。」 (5頁)
ここではまさに国民が自ら引き受ける政治に一時移行しはしたものの、すぐに耐えられなくなり再び任せる政治に逃げ出すという展開の可能性が予感され危惧されている。宮台氏は楽観はしてないがやはりいくらか楽観はしている。そうでないと絶望するより他ないからだ。私はひどくネガティブなので哀しい未来を思い浮かべて宮台氏のモチベーションを下げそうになる。要するに宮台氏が前書きで書く危惧は宮台氏が思っている以上に高い確率で現実になりうるのではないか、という根暗な悲観を私は捨てきれない。はてさてこの悲観が当るかどうか、それは今後の民主党や国民の意識次第、あるいは宮台氏の努力次第なのだろうか、見物である…なんて閉め方をするとこれはアウトなのだ。何故なら既にこれは「任せる政治」以外の何者でもないからだ。私は民主主義があまり好きでない。民衆が愚か極まりないと見下しているからでは必ずしもない。民衆の一部たる自分がいかに面倒がりで、いかに怠惰で、いかにいい加減で、いかに無能かをよく自覚しているからだ。帯によれば今年日本には革命が起きた。それでこの国には初めて本来の民主主義が産声をあげた。我々はちゃんとこの民主主義を育てられるだろうか?
・もう少し詳しい内容面の話
言うまでもないかもしれないが共著者は民主党の有力論客で外務副大臣の福山氏。その関係で本書の内容はほぼ100%現与党である民主党の政治を扱ったものとなっている。マニフェストの話から子供手当てからダムから25%削減から、民主党が政権を取って以後話題になった大半ないし全てが扱われている。当然批判に対する反論も沢山書かれている。宮台氏は抽象的すぎるとか使う言葉が難しくて分からないといった批判をよく受けているが本書では相手が政治家という事もあってか非常に実践的な話、現実政治の話が多く抽象性はかなり低い。宮台氏得意の「〜という学者が〜を言っていて〜」といった知識の披露もそう多くはない。かなり抑えられている。のでそういった特徴が嫌いだった人にはこれは良い点だろう。私などは哲学的で抽象的な話題が大好きなので逆に物足りない所があったが。
鳩山総理の核廃絶を戦略的に肯定し、実はそれは日本が重武装対米中立を目指すための布石であり、核廃絶は建前であると期待してますみたいな宮台氏の発言は若干おいおいと思い、福山氏も反応に困って見えた。(無意識の意識として内在してる可能性は否定しませんと答えている)もし重武装対米中立といった意図もなしにベタに真面目に核廃絶と言っているならその場合は宮台氏は民主党の方針を恐らく批判する事になるのだろう。核廃絶は重武装の布石と期待してますというのは要するに核廃絶という方針を貫くなら代わりに9条の改憲と重武装は必須という宮台氏のメッセージと言えるのかもしれない。