ベネディクト・アンダーソンは主張「想像の共同体」で、やや誤解されることになったように思う。別にナショナリズムが「共同幻想」であるかのように言っているわけではないのだ。本書の題名「比較の亡霊」も、ややもするとそうした勘違いを生みかねない。一言で言えばナショナルな同一性は他者(他国)との比較の上で立ち上がってくるということなのだが、それよりも本書の面白いところはフィリピン、タイ、インドネシアの政治経済的比較である。各々の歴史的経路に内在しながら共産主義運動、冷戦、経済開発といった普遍的なテーマのあらわれかたがどう違うのか、それが多言語を駆使できる人ならではの視角で論じられていく。彼はタイのテーチャピーラの言葉を引用している「(タイの)文化的抵抗は、共産主義とタイ文化とを摩擦を感じつつ結び付けようとした長きにわたる努力によって練成され、かたどられてきた」。そしてアンダーソンはベンヤミンの歴史の天使をひきつつこういう「近代の過去―その中心部分であった共産主義を含めてーは、その深みから再審され、審問され、可能な場合には回復されなければならない…サタジット・レイのことばを借りるのなら、頭上の遠い雷に耳をすましながら」。言葉の裡には、いわゆる欧州「リベラル」には決してないような、東南アジアへの内在、解放ナショナリズムとそれと練成された共産主義運動への批判的共感がある(もちろん、日本帝国主義についてはバッサリ断罪している。アジアを知らずに「解放戦争」を肯定する日本の反「自虐史観」派も、そういう主張をするのなら少しはこういう本を読んだらいいのでは)。