数年前、ダルビッシュ有とサエコが海外で挙式した際、ネットの某掲示板が「盛り上がり」を見せたという。もちろんその間、子供はサエコの母親に預けていたわけで、別にそれならそれでいいだろという話なのだけれど、「子供をほったらかしにして!」という民衆の憎悪が、この夫妻の特にサエコの側だけに向けられたのだ。
そういう「育児の怠惰」をなじられる方も(そしてたぶん)なじる側も、いつも「母親」。本書で“エッセイスト”の香山リカがたどるのは、社会がいくらリベラルになろうと解消されない「母親はなぜ生きづらいのか」という謎の源流だ。
しかし本書が明かすのは、近代以前、実は「母親は生きづらくなかった」という事実。江戸時代まで子供は共同体の共有材であり、家族のみならずその社会の成員によって「子育て」は担われていたのだ。それが近代以降、性役割分業により女たちが家という檻に閉じ込められた。その檻は、「良妻賢母思想」や「母性愛幻想」という「錠」によって、さらに強固になっていくのだ。そんなプロセスを、すでに歴史に属する各種資料をもとに解きほぐしていく本書は、さらに現代において新たに生まれつつある「三歳児神話」にも、批判的な眼差しを向ける。
ただそんな「生きづらさ」の解決策として、「江戸時代」を持ち上げすぎているきらいがあり、小谷野敦には“江戸幻想”と批判されそうだし、著者も「安易」と自己批判していることに注意が必要だ。母親と同じく、江戸も万能ではないのだから。
フェミニズムや近代史に詳しい人には「またか」という話も多いだろう。新書で著されたこの本は、むしろその方面に疎い人ほど読んでほしい。特に、幻想の中の母親に未だ執着が強いという男性。もしくはきっぱり「母親にならない」と決めたキャリアウーマンなのに、なぜだか罪悪感を抱いてしまう女性。そんなあなたは、また別の形で「母性幻想」にからみとられているかもしれないのだから。