本書が35年前に書かれたものと知って驚いた。
昨今、NHKによって「無縁社会」という言葉が流行り出したが、その社会病理の根本を河合氏はすでに指摘していた。
すなわち、「母性社会」という問題である。
それは、欧州社会が母性の二面性と同時に父性的要素も取り込んできたことの対比による。
父性原理に基づくキリスト教は、強烈な母の否定の上に成立している。
そこでは神との個別の契約関係を結んだ上で自我が育まれるため、「個」という概念が生まれる。
だから、欧州社会では「個の倫理」が発達した。
一方、日本社会では「場の倫理」が尊重される。
これは今、「世間学」という新しい学問が挑んでいるテーマである。
日本人にとっての神は「世間様」であるとも言われるくらい、「場の倫理」は強力である。
心理学が専門の著者は、「世間学」の誕生に先がけてこう分析していた。
すなわち、「場」の力の本質は「母性への回帰」である、と。
この「母性」こそが「わが国の文化・社会を古くから支えている原理」(30ページ)なのである。
ここでいう「母性」は、自我をも呑み込むグレート・マザー的側面を含まない。欧州型のそれとは異なる。
天照大神から始まった、「全てを包み込む」というイメージである。
著者は素材として各地の神話を多用するのであるが、それが誠に興味深い。
神話がその文化圏の自我の成り立ちを象徴していることがよく分かる。
つまり、「日本人の自我における父性原理の弱さ」(50ページ)が問題なのである。
「平等」・「公平」に対する考え方についても日本と欧州の違いは明白である。
個人の「差」を前提にする欧州では小学校でも落第があり得るし、それが「親切」な制度である。
しかし、日本でそれは考えられない。日本においてその差は「差別」となるからである。
ここにも、無意識的な母性原理が働いている。
とはいえ、欧州型の思想が全てにおいて優れているわけではない。
著者もその点は心得ていて、欧州型の進歩主義的文明が行き詰ってきていることも認めている。
東洋には「自我なしの意識」があって、それは精神の豊かさをもたらしてきたのである。
これは日本人の強みである(146、192ページなど)。
日本において「無縁社会」が恐れられるのは、我々が古くから「血縁」に基づく社会を形成してきたからであろう。
我々は、天皇のような家父長的な存在を頂点にして、それを「場」として生活してきた。
家族やムラは言うまでもなく、企業も「血縁」の擬制で成立するものであった。
ところが、欧米型の合理主義の浸透によって、それは崩れかけている。
終身雇用・年功序列制度は、能力・成果主義に取って代わられた。
企業も部外から取締役を迎え入れねばならなくなった。
落ちこぼれた人間はひきこもり、家族も頼れなくなった。
河合氏が指摘した「母性社会」はまさに「病理」となっている。
究極的には「物質文明(欧州)」と「精神文明(東洋)」の相克であるように思う。
だから、有史以来「血縁」という精神的つながりを拠り所に生活してきた日本人にとって、グローバル化は危険かもしれない。
このまま徹底的な合理主義が世界を覆い尽くしていくならば、欧州型の「個」を体得しなければならない。
そうした土壌を持たない日本人に果たしてそれができるのか、疑問である。
あるいは、我々持ち前の器用さで対応していくつもりなのか。
ひきこもりやニートが増え続ける現状をみる限り、とても楽観視することはできない。
河合氏は結びに興味深い言葉を残している(あとがき)。
それは、彼が日々、臨床の場で向き合っている「一般には異常とか病気とか考えられがちな人々」が、
「むしろ、問題解決の尖兵として、いわゆる正常人よりも早く問題と取り組んでいるのではないか」という指摘である。
これは最近、ひきこもりやニートたちに向けられている新たな視線と全く同じなのである。
日本はグローバリズムに迎合するのではなく、第三の道を模索しなければ生きていけないのではないか。
著者は日本人が特有する対人恐怖症をこう説明する。
すなわち、彼らは「西洋的な自我」の持ち主で、それは「場の倫理」を優先する日本社会と矛盾をきたす。
そして、彼らはこれを「現実化する力」をもたないため、赤面などの羞恥の感情が生じるのだ、と(210〜211、293ページ)。
我々日本人は、国民国家を形成した時、西欧の「合理的に構築した体系に目を奪われるあまり、
それを支えている広大な領域になかなか目を向けることができなかった」(352ページ)。
「西洋の文化とわれわれはとうとう根っこのほうでぶつかりはじめた」(353ページ)とは極めて示唆的である。
やはり、ヨーロッパの個人主義を体験した方の日本論には学ぶところが多かった。
河合氏はスイスからユングの心理学を持ちこんだ人物であるし、
「世間学」を生んだ阿部勤也氏にしても専門はヨーロッパの中世史であった。
そういえば、最近『日本辺境論』を書いた内田樹氏もフランス思想から出発した人物である。
ともあれ、本書は日本人なら一度は読んでおきたい「古典」である。
阿部勤也『「世間」とは何か』(講談社現代新書)
井上忠司『「世間体」の構造』(講談社学術文庫)
もお薦め。