Would you like to see this page in English? Click here.


または
1-Clickで注文する場合は、サインインをしてください。
こちらからも買えますよ
この商品をお持ちですか? マーケットプレイスに出品する
母国は日本、祖国は台湾―或る日本語族台湾人の告白 (シリーズ日本人の誇り 3)
 
 

母国は日本、祖国は台湾―或る日本語族台湾人の告白 (シリーズ日本人の誇り 3) [単行本]

柯 徳三
5つ星のうち 4.4  レビューをすべて見る (7件のカスタマーレビュー)
価格: ¥ 1,470 通常配送無料 詳細
o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o
一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です。 在庫状況について
注文確定後、入荷時期が確定次第、お届け予定日をEメールでお知らせします。万が一、入荷できないことが判明した場合、やむを得ず、ご注文をキャンセルさせていただくことがあります。商品の代金は発送時に請求いたします。
この商品は、Amazon.co.jp が販売、発送します。 ギフトラッピングを利用できます。
‹  商品の概要に戻る

商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

日本で生まれ、日本に養われ、25歳まで日本人だった台湾人著者が語り継ぐ「日本精神」。そして、アイデンティティを模索し葛藤した日々。

内容(「MARC」データベースより)

昔、台湾は日本だったんですよ。台湾と中国大陸は違うんです。日本で生まれ、日本に養われ、25歳まで日本人だった台湾人著者が語り継ぐ「日本精神」。そして、アイデンティティを葛藤した日々を綴る。

出版社からのコメント

日本で生まれ、日本で養われ、25歳まで日本人だった著者が
語り継ぐ「日本精神」。そして、アイデンティティを模索し葛藤した日々。
現代日本人が知らない様々な真実を語る!

帯びより/
台湾と中国大陸は違うんです。私の思う日本精神とは、人間性のある素直な精神です。捻くれた人間ではなく、真面目で正直だという事でしょう。これは、私だけでなく、日本時代を経験した台湾人は一般的にそう捉えています。根本が正直で、裏表がありません。一方、表ではニコニコして付き合っているいる人でも、裏では平気で人を裏切ったり、陥れたり、する。こういうのが支那人的な考え、大中華思想です。

カバーの折り返し

日本は、国体といって日本という国を守る為に多くの人が命を投げ出しました。
護国の為に散っていった人たちが沢山いました。国に対する思いというのは、小さい頃からの教育に負うところが大きいのです。

それに引き替え、今の日本人は、戦後骨抜きにされています。国の為に何かしようなどとは考えもせず、自分さえ良ければいい、自分が全て、という人間が多すぎます。

私は、日本教育を受けて日本式の考え方しか出来ません。

軍国教育が良かったなどと言うつもりはありませんが、戦前の日本教育には素晴らしい面が沢山ありました。それを全部否定してしまっている戦後日本は、何かがおかしいと思うのです。                                                  (カバー袖より)

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

柯 徳三
大正11(1922)年、東京・本郷生まれ。台湾における日本語教育の発祥の地、芝山巌学堂の第1期生・柯秋潔を祖父に持ち、祖父の教育方針で、共学生として小学校から積極的に日本教育を受ける。台北の南門小学校、台北第一中学校、台北高等学校高等科理科乙類を経て、昭和20(1945)年、台北帝国大学医学部卒業。大東亜戦争時、日本帝国海軍の軍医を経て、戦後、台湾大学医学院附属病院勤務後、台湾省立基隆病院皮膚科を設立。主任を務める。1952年に皮膚科医院開業、1996年にリタイア後は、台湾独立のための活動、及び日本との交流に努める日々を送っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

抜粋

思想の統制が厳しくなる

医学部では、昭和十八年(一九四三)頃から、学生課長として配任になった憲兵の予備少尉が、特に台湾人学生に対して目を光らせていました。
卒業前の年、昭和十九(一九四四)年に、医学部在学の台湾人学生の検挙があり、反戦思想の疑いのある数名の学生が憲兵隊に連行されました。
生活改善部とか生活指導部とかいうのがあり、学生課長などが目を光らせているところで、学生大会といって討論会をやるのです。出るように言われて、私も出席したことがありますが、
討論会の題が、「天皇制についてどう思うか」とか「台湾における皇民化運動についてどう考えるか」など難題ばかりで、何も言えないのです。

ですから、私は一回も発言したことはありません。喋りたい心は沢山あります。でも、言えない。言いたい事を言えば、引っ掛かるから、結局、何も言えずに黙ってしまうのです。それ以外に方
法はありませんでした。

私の上のクラスの台湾人で、こんなことを言った人がいました。「皇民化運動というのは、私の考えでは、内地人が台湾人を引っ張って、日本人に同化する運動ではなく、内地人も努力し、台湾人も努力して、お互いに一段上で融和して立派な台湾を作る。これが皇民化運動だ」と。苦し紛れに、そう言ったらしい。私はその場で聞いていました。翌日、憲兵隊が入って連れていかれました。

その人は終戦まで締められて、八月十五日に釈放されたのです。つまり、皇民化運動というのは、一方的に引っ張っていくものなのです。台湾人には、頭から台湾人という意識をなくさせ、完全な日本人にするための運動なのです。つまり、それが軍部の考え方だったのです。

天皇制についての座談会の時は、やはり台湾人の学生が、「天皇は神様みたいで神様じゃないけど、とにかく我々は尊敬しないといけない」とか何とか、適当にお茶を濁すような発言をしました。そうしたら、すぐに憲兵隊が入ったのです。天皇は、神のようだけど神じゃない、と言ったところが恐らくいけなかったのでしょう。あの時は、天皇陛下は神様でしたから。

それから、お目付役がスパイを使って、台湾人学生が日頃どういう行動をして、どういう話をしたか、いちいち報告していました。それで結局、私が三年の時に、四年と三年の学生で、憲兵隊に連れていかれたのが五人ぐらいいました。拷問を食らって、ぶん殴られて、水を飲まされて、エビみたいに吊されて竹刀で叩かれて、八月十五日に釈放になりました。中で拷問で死んだ人も一人います。

死んだ人は、国民党政府が来た時に、忠烈祠に祀られました。反日の義士だとかいうのです。実際には義士でも何でもありません。これは国民党の宣伝に利用されたに過ぎません。 

彼らが憲兵隊に連れて行かれた容疑は、重慶政府(国民党政府)と通じたというスパイの容疑。それから反日本政府という容疑でした。あの時、大学で北京語を教えていた支那人の先生の教え子達は、特に狙われました。この先生も重慶政府のスパイという疑いがかけられて、捕まりました。これが、軍隊が幅を利かせていた時の被害です。

私など、何も喋らず、慎ましい態度で小さくなっていましたので、睨まれる方ではありませんでした。
努めて内地人と接触して、「お互いにコミュニケーションをやろう」と、やっていましたから、皆からは「こいつはちょっと異分子だな」と思われていたことでしょう。

‹  商品の概要に戻る

Amazon.co.jpのプライバシー ステートメント Amazon.co.jpの発送情報 Amazon.co.jpでの返品と交換