語られる世界とはどこか遊離した落ち着かなさのようなものがのこる。どこか活動家、闘士のような「力」による伝え方だ。
老人たちのホームにおけるドキュメンタリー現場を、とてもうまく融合して物語を伝える手法の成熟感、それはすごく感じる。
録音、音響も、この 「殯の森」では、目の醒めるような環境音がすばらしく、それが映像の魅力に負けていない。
愛しい人の喪失感を最近体験した人には、主人公たちの心の内にある闇の深さ、突然の感情の表出、抽象的な奇跡、癒すようなエネルギーの湧き昇る場面を、観客が共有することはありうる。
が、監督自身があきらかに意図しているものが、あまりに明確に思われるので、かえってそれは「おしつけがましさ」として感じられてしまう、という意見もありうる。
ぼくは観賞後に、どこか抵抗感を持たざるをえないものが自分の内から生じたこと、それは率直に言いたい。
まず強引である、と感じた。「そうでしょう」と迫られているような、それに抵抗を覚えた。
劇中で「そうせなあ、あかん、ていうことはないよ」と語らせるが、それが、また、ふたりが割れたスイカをむさぼる時、むしろその相手の口にねじ込むような場面に、なにかどうしても重なるような伝え方、という感じがしてならない。携帯電話の使われ方も危機感のないものにすぎる。それが作者の都合として感じられてしまうのが気持ちに残る。
その強引さは、現実的に職として介護をしている方には、非合理のままドラマに押しやられているような感じが残るのではないか。
しかし力技ということでは、主演の尾野真千子の抑えた表情、突然のトラウマの表出、感情の爆発的で悲痛な叫び、「いったらあかん ! いかんといて !」の場面は女優の魂を感じて素晴らしい。
全編「緑」に浸され、侵食される映像。それでももう一度この映画を確認したい誘惑を多くの人は捨てきれない。