『残虐行為記録保管所』は商品説明にある通りのスリラー・ホラーですがこれが怖いかといえばそう恐ろしくもなく、ではパロディ・コメディかといえばたしかに笑えるんですけど笑いは引きつってしまうんです。でも退屈かといわれれば面白いんです。序盤から数学/コンピューター用語と魔術の絡みあいがあふれだしますし(チューリング-ラヴクラフト定理!などなど)文体はかなり回りくどくストーリー展開も洗練されてるとはいえませんが魔術/数学のアイディアの原石がちりばめられていて引きつける魅力はあります。そしてナチの残虐な歴史を絡めた多元的宇宙の魔界を扱っていても、主人公のボブ・ハワードは現実的な日常のゴタゴタから決して逃れられないんです。英国の対魔術秘密組織<ランドリー>がその現実の舞台なのですが、ボブはそれこそ官僚主義的内部政治の呪術で縛りつけられるのです。そんな現実に右往左往しながらもなんとか立ち回るさまがタイトルとは裏腹にコミカルな印象を生みだしています。個人的には好みなんですけど。
一方、中編『コンクリート・ジャングル』のほうはコンパクトにまとまっていますが「あれれっ?」て感じの終局です。メドゥーサの視線による石化(観測者による波動関数の収縮)を扱っていて期待が膨らみますが、結局は現実的な官僚主義的内部抗争が主軸なのです。現実界のゴタゴタに対する適切な対処があってこそのSFということなんでしょうか。そういう意味では二編とも健全ではあります。(ただその後の『Accelerando』や『Glasshouse』における作品の洗練さの向上をみると本作が真っ先に単行本出版されたのはちょっと不思議です)