16世紀から17世紀における、今では想像もできない大規模なキリスト教徒の増加というのは私にとってはいつも大きな疑問でした。この本がその答えを与えてくれるのではと思い読んでみました。読後感はこの問題のスケールの大きさです。というわけで、この作品にはこのような大きな疑問に対する明確な回答は呈示されていません。ここに展開されるのは大規模なスケールで見られた殉教という現象に対するより限定的な描写です。なぜこのような幕府側の弾圧が起きたのかに対する大きな分析はありません。殉教という現象も、むしろ武士階級のエートスがキリスト教という外的な触媒によって引き起こされたというわけです。ということになると、宣教師側の殉教に対する熱意も、そこには大きなすれ違いが根底にはあったというわけです。「終わりに」の部分では、17世紀以降の日本におけるキリスト教の土俗的な信仰化が指摘されます。そこにはキリスト教とpaganとの相互作用という普遍的なテーマが潜んでいるというわけです。著者の関心は、遠藤周作の「沈黙」という作品に触発されたものです。この「沈黙」という作品の相対化こそが著者の執筆の狙いだったのでしょうか。このささやかな狙いには成功したようです。