私は現在臨床医であるが、医大生時代には法医学教室にも出入りし、いくつもの変死体の司法解剖に立ち会ってきたりした。また、医師免許取得後にも警察から依頼されて何通かの死体検案書も書いた。そういう人間がこの本を読むと、法医学のミニ教科書に見えてくる。ただ、実際の死体と対面する現場では、慣れていなければ正視出来ない様な場面も多いのであるが、本書では少々軟らかい表現に留められている。ただ、本書は教科書ではなく読み物なのだから、もっと具体的なドラマが欲しいという物足りなさを少し感じた。しかし、いくつかの実例が示されている。一つは昭和46年の大久保清事件、それから昭和24年の下山事件(初代国鉄総裁轢断事件)などについては詳述されており、興味深く読んだ。
本書で最も興味を持った部分は、死亡推定時刻の算出方法である。殺人の場合の死亡推定時刻はアリバイと関連して裁判の行方を大きく左右する要因の一つだ。その死亡推定時刻が、それを調べる鑑定医により数時間のズレがあるという事である。現時点で死亡推定時刻を正確に示す指標は無く、多くの所見から鑑定医の経験に基づいて総合的に判断されているという事だ。つまり、死亡推定時刻の鑑定の結果は事件捜査に大きな影響を及ぼすが、現時点でのそれは、必ずしも客観的ではないのだ。この事実を語ってくれただけでも、本書の価値は大きい。
本書は興味のある方だけではなく、推理小説ファンには特におすすめしたい。推理小説での犯人推理力も格段に向上すると思う。