デリダによる「アブラハム物語」を巡る論考がおもしろい。ただし複雑であり、私もまだこの『死を与える』という書物と格闘している最中である。
「アブラハム物語」とは、アブラハムが神に命じられ、自分の愛する独り子・イサクを屠り、生贄として神に献上しようとするお話である。しかし殺人は制止されるのだが。この「アブラハム物語」については、例えばキルケゴールやレヴィナスなどといった人たちが深い考察を重ねてきた。
キルケゴールの場合、「イサク奉献」は「宗教」的な段階のものであり、しかるに「倫理」的なものを超え出ており、そこに「信仰の飛躍」が萌芽すると考えた。ここでアブラハムは「信仰の騎士」なのである。
一方でレヴィナスの場合は、神の「汝殺すなかれ」の制止・禁止のことばの中にこそ「倫理」的なものを見出したのである。
「アブラハム物語」「イサク奉献」という物語から、「宗教」と「倫理」の葛藤を私たちは見て取ることができる。イサク「に」死を与えるのか。イサク「の」死を与えるのか。
デリダの提出した回答は、キルケゴールとレヴィナスの不徹底を指摘しながら、「他者」や「贈与」の問題系の中で語られうるものである。
なかなか歯応えのある論文である。デリダの宗教思想のエッセンスである。