去年11月に逝った佐野さんのエッセイ集をまた読めた。
冒頭の、2009年5月が最後となるエッセイ『死ぬ気まんまん』では、死別した父や兄弟などへの、終生癒されなかった喪失感が吐露されるとともに、年金制度、戦後民主主義などへの批判が、よくぞ言ってくれました、或いはそこまで言っていいの、というほどの過激さで語られる。
その激しさは、次章の、佐野さんの手術を担当した医師との08年の対談で、ピークに達しているようだ。「死ぬことに対してのストレスがない」と言う佐野さんは現代医療批判のほか、人の死、葬儀などの自らの近未来を、熱っぽい口調で話している。
ところが、98年のエッセイ『知らなかった』では、調子はがらりと変わる。「頭の神経が狂」うほどの激痛にあえいでいた彼女は「ドドメ色のガイコツ」となり、ついにホスピスへ短期入院するのだが、そこでの出会いと別れが冴えた観察眼と端正な筆致で描かれ、ぐいっと読ませる。「死ぬまでは人は生きているのだ」当たり前の一文が、心に深く突き刺さってくる。
そして、結びのエッセイで関川夏央さんは、佐野さんを「故郷喪失」の「最後の「大陸出身者文学」の作家」と喝破した上、いかにも韓国通らしく、彼女のエッセイに頻出のダンディーな韓国人「ミスタ李」の正体らしきものを暴露する、というおまけつき。
果敢に世間に咬みつき、自らの病いを豪快に笑い飛ばしても、深く抱えていた痛みや不安、孤独もまた否応なく伝わってきて、笑わされるのに随所で切なくさせられる一冊だった。