著者は終末期医療を巡る裁判に何度も拘わった米国弁護士で、本書はその経験と思索に基づいた啓蒙の書である。なぜ、啓蒙なのか?
かつて、重篤な患者は短い期間での死か回復か、どちらかしかなかった。が、急激な(前世紀後半からの)技術革新が、重篤なまま長期の生命維持を可能にし、そこに人類が初めて直面する難題が生じた。「死ぬ権利」を巡る訴訟はその象徴だ。本書には著者の拘わった3つの裁判が記され、直近で最も詳しい記述がシャイボ訴訟である。植物状態に陥ったシャイボから栄養チューブを外すことが彼女の望みに適うと夫は決断したが、それは娘への殺人行為だと両親が訴え、全米を二分する(メデイアや政治を巻き込む)激しい論争となった。
著者は夫側の弁護士だったが、決して一方的独断をしない。困難な課題には時間をかけ、冷静に直面して合意していくべきと訴える。生じつつある事態を可能な限り正確に知ることが手始めであり、無知は正しい解決を阻むと考える。だからこそ本書は書かれた。判決後に、シャイボのいるホスピス前に集まった抗議者達は、職員を「殺人鬼」と罵倒し、「ホテル・アウシュビッツ」のプラカードを掲げた。ホスピスの実際を知ったら、決してそんなことはしない(出来ない)だろうというのが著者の立場だ。だが、著者はどんな抗議にも権利はあると考える。「私は、検閲ではなく回数を重ねることが、下手なスピーチの最善の改善法だという格言を常に信じてきた」と本書に記す(p.314)。そんな理不尽な抗議も、私達が終末期医療の在り方を考え、語り合い、深める契機になったと捉える。いわゆる“米国的良心”の最良の面を体現する人であるのだ。
本書は、米国での終末期医療の急激な技術革新の歴史と、それに人々がどう(試行錯誤しつつ)対応してきたかを、著者の視点から紙数が許す範囲で広域に記し、人々に考え話し合う切っ掛けを提供しようと意図されたものだ。前半は、確かに訴訟の話題中心だが、後半は終末期医療が抱える問題を広く取りあげる。高齢者や身障者が抱くかもしれない懸念(不安)は、この医療の技術革新と深く関連している。が、医療技術はうまく使いこなせば、高齢者や身障者がかつての時代より遙かに心地よく生活出来る可能性もある。そういう意味で、近代ホスピス運動なども紹介される。
すると、邦訳の題名や帯の内容は、極めてピント外れではないだろうか(原題こそ正確だ!)。これは、著者の主張を読んでほしい読者に本書が読まれない可能性ともなり、何とも残念なことだ。
知識のない私は、植物状態(遷延性植物状態)と脳死と昏睡の違いとか、植物状態の患者の示す表情の意味とかを本書で初めて知った。また、(近代)ホスピス(運動)を創始したシシリー・ソンダースの素晴らしい人柄とか、“緩和ケア”を命名したマウント医師が言葉にどう想いを込めたか等も驚きだった(残念ながら日本語のみでは想像出来ない)。
本書のような内容に接する機会が少ない(はずの)、多くの日本人(特に、中高年)に幅広く読まれてほしい書だと心から思う。