福田和也おなじみの粗製乱造本である。
同じ新潮新書から以前刊行された『人間の器量』が多少好評であったのか、『人
間の器量』が「生き方」なら、今度は「死に方」だという、安易な企画意図が透け
て見える。柳の下にいつも泥鰌はおらぬのである。
この著者の、文体意識と取り違えた自己意識の肥大のために、悪しきケレンやパフ
ォーマンスが鼻につく自己注釈の多い文章は鬱陶しいこと甚だしい。かつての青二
才のパンク右翼も数え五十三歳である。どうにかならぬものか。
この著者のいつもの遣り口であるが、ネタの使い回し(例えば幸徳秋水の挿話は何
度目か)が夥しい。このような職業意識に悖る本を上梓できてしまうのは文筆家とし
て、"恥じらいの如きもの"を欠いている証跡である。読むにたえない。