著者のヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl、)は、1905年ウィーン生まれ。
アドラー、フロイトに師事した。脳外科医としての腕前も一級であった。
ユダヤ人として収容所生活を送っている。
極限的な体験を経て生き残った人であるが、
フランクルのロゴセラピーは収容所体験を基に考え出されたものではなく、
収容される時点ですでにその理論はほぼ完成しており、
はからずも収容所体験を経て理論の正当性を実証したと評価されべきものだろう。
ロゴセラピー(Logotherapy)は、人が自らの「生の意味」を見出すことを援助することで
心の病を癒す心理療法。
フロイトの「精神分析」やアドラーの「個人心理学」と並び、
心理療法のウィーン学派三大潮流のひとつ。
「ロゴ」は、ギリシア語で「意味」の意である。
ロゴセラピーは、人にその生活状況の中で「生きる意味」を充実させることが出来るように、
あるいはその価値の評価の仕方を変えることが出来るように援助しようとするものである。
セラピストは患者に次のような援助を行う。
1.意志の自由 - 人間は様々な条件、状況の中で自らの意志で態度を決める自由を持っている。
2.意味への意志 - 人間は生きる意味を強く求める。
3.人生の意味 - それぞれの人間の人生には独自の意味が存在している。
人生の意味を見出している人間は苦しみにも耐えることができるとする。
本書でフランクルは、フロイトやアドラーは
「時の流れと共に古くなりつつあるという意味でも歴史的」だとし、
フロイトの「コンプレックス」やアドラーの「劣等感」のような
心理レベルの現象への逃避に甘んずることなく、人間の意志、その意味への志向に注目した。
その意味で精神分析よりも哲学に近いと私には思える。
フランクルは「巨人の(フロイトやアドラー)肩の上に乗った小人(自分)はより遠くが見える」
としてそれを実践したのである。
第三章の「心理的告白から医学的治療へ」は、大変示唆的である。カッコ内は私の補足である。
この中で「心理療法(精神分析)は、結局何らかの意味で芸術である」とする。
これは芸術はつまり個人の才能に帰するもので、精神分析を芸術に喩え、
それを行う医師が誰かによってその効果に大きな差が出るということである。
これは外科医の巧拙とはまったく意味の違うものだ。
ここでは精神分析を修めた医師であるフランクルが
精神分析の医学としての不確実性に言及しているという意味で大変意義深いのである。
本書の日本語版は1957年(昭和32年)、原書は1952年の上梓である。