本書の目的は、著者によると以下の通りである。
「学校教育で扱われる知識の性質や、時間の経過によるその変化を考察することから、その社
会で期待されている社会関係のありようや、より大きな社会の変動の傾向を理解することができる」(p2)
こうした目的に沿って本書を整理してみると、以下のようになろう
[A]公民権運動をきっかけとして、文化多元主義から多文化主義へとパラダイムがシフトした。
これは、「アメリカ」像の再編を迫るものであった
→歴史教科書における「国家的語り」から「革新的語り」への変化
(例)「1990年代の教科書においてはヨーロッパ系の人間を「we」として表現することはもはやなく……」(p54)
[B]何らかの政策の正当性の根拠が、国家の安全から「市民社会の正義」へと変化(特に1990年代以降)
→歴史教科書における、人種主義への強い批判。特に日系人強制収用に対する批判。9・11後
の愛国者法に対する評価基準にもなっている。
[C]「アメリカ」というナショナルな枠組みの堅持。多元性、普遍性はあくまでアメリカ内部のもの
→アメリカの「多元性を称揚する一元性」に陥ることに。コスモポリタンな視点の欠如
本書には、前著が分析概念として利用した「グローバル化」という言葉は、管見の限りなかった。
これは、私自身勘違いしていたのだが、日米の比較を通すことによって、グローバル化を
理解しようと前著が試みていたためである。
私の勘違いとは、グローバル化が直接的に教科書の記述にどう影響を与えたのかということを
明らかにしたかったのではないかと、私が考えていたことである。
そのような側面があったであろうが、本書においてグローバル化という言葉が用いられないのは、
少なくともアメリカの事例研究においては、そうした考え方は当を得ないからなのだろう。
読み込みの足りなさと理解の浅薄さに、汗が止まらない思いです。