フェルナン・ブローデル(Fernand Braudel,1902~1985)の“La dynamique du capitalisme(資本主義の活力)”は1995年、
太田出版から刊行されていたが、この度、文庫本として復刊されたことを嬉しく思う。特に、当書では脚注(訳注)を巻末に集約したため、本文が滑らかに読めるようになり、煩雑さが解消されたと感じる。ともあれ、今回の文庫化はアナール派歴史学やブローデルの世界へ旅立ちする機縁ともなろう。
ところで、“資本主義”という言葉自体は、ヴェルナー・ゾンバルトが生みの親だが、ブローデルの語る“資本主義像”は、本書を手にとって判ることだけれど、マルクスともウェーバーとも異なっている。この“
マルクスの資本主義”と“
ウェーバーの資本主義”は、私の学生時代、侃々諤々の議論を繰り広げていたものだ。だが、たとえば、後者の“プロ倫型資本主義”に関して、ブローデルは彼の歴史観を介して次のように批判する。
すなわち、“ウェーバーの資本主義”、つまり「北ヨーロッパの国々における資本主義の躍進」は「ピューリタニズムの創作物に他ならない」としているが、それは単に「長きにわたって繁栄し続けてきた地中海沿岸の資本主義の古い中心地が占めていた地位を引き継いだだけ」であり、「世界経済の重心の移動」が生じたに過ぎない、というものだ(本書第2章)。この視点は、ブローデルの〈中心化〉仮説等を由来としている。
彼は、「マックス・ウェーバーの誤りとは、そもそも資本主義の役割を、近代世界の推進力として過大評価してしまったことに根本的に起因するように思われる」(同)と総括する。その他、前述の〈中心化〉の外、〈長期持続〉〈世界時間)などの分析概念を駆使して、歴史の深層や動態を述べている。そして、何より肝要なのは「自分たちの省察の基礎として彼の著作を使うことをためらってはならない」(
ウォーラーステイン)という点にあろう。