この短い論文は、歴史学が科学として成り立つのかどうかを問題にしている。
科学は、様々なデータを用いて、ある歴史的事象が生じたのは、単なる偶然ではなく、何らかの原因があるということを証明しようとする。
その方法は、「因果帰属」と呼ばれ、Aという事象が存在しなければ、Bという事象が生じることはあり得なかったということを証明することで、因果関係が成立すると考える。
実験科学なら、追試をすれば、明らかになるが、歴史は、一回限りの事象なので、再現できないという制約があり、そのため、「思考実験」という方法が用いられる。
ここで用いられている例は、なぜ古代ギリシア史が、事実上、世界史の初めに解説されるのか、という問題である。
これは、歴史学が西欧で始まったという単寿な理由ではなく、世界史上、例を見ない現象、つまり、一つの文明が世界全体に波及する、言い換えれば、近代資本主義に覆われつくされていくという現象を解明するために、必要であると、説明される。
近代資本主義にとって、ルネッサンスを通じて再発見されたギリシア文明の遺産が重要な要素となっているので、古代ギリシア史が世界史の最初となるという説明になる。
この時期には、エジプト文明や中国文明という、はるかに巨大な文化圏が存在していたにもかかわらず、それらは、ほとんど無視され、ペルシア戦争という、規模において、ささやかな事件が、世界史上の大事件として、詳細に説明される。
なぜなら、もし、ペルシアがこの戦争で勝利していたら、その後に生じるアテネなどのギリシア文明が生じなかった可能性があるからだと述べられる。
その理由として、ペルシアが征服した地域は、王朝制がしかれ、古代ギリシア史で発達する民主制という制度が発達しなかったはずだからだと説明される。
つまり、ペルシア戦争での勝利がなければ、民主主義という概念が生まれなかったであろう蓋然性が高いので、この戦争の詳細が重要な研究対象になったのであると主張される。
もう一方の共著者は、法律的な「相当因果関係」について説明しており、良く似た論理構成を取るが、利益均衡によって判断が決定されるので、因果関係として認めるのが相当である、という意味になることが述べられている。
ウェーバーは、『世界宗教の経済倫理』などを始め、様々な歴史分析を行っているが、その方法論の一端がこの著書で述べられており、非常に重要な内容ではないかと思う。
例えば、折原浩氏の見解に従えば、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、宗教という要因が重要であったと因果関係を説明しているが、それを証明するには、他の宗教では、資本主義は生じ得ないことを証明せざるを得ず、そのために、世界宗教が次々と分析された、ということになる。
分かりやすく、短い著作なので、法律論の部分は飛ばしても、ウェーバーの担当部分のみは、一読しておきたい文献である。