演義では主役の蜀ですが、
魏は4巻、呉は3巻なのに、蜀は1巻しかありません。
その上主役の劉備よりも先に「劉二牧伝」として劉焉・璋親子が出てくる辺り、
蜀は地方の一政権に過ぎないと言う見方をされても致し方のないことかなと感じます。
ただでさえ人が少ないのですが、
この少ない中に特に何もしていない劉備の子供やそれらの母親(皇后)の伝「二主妃子伝」もありますので、
実質的に「三国志」で活躍した人物となるとかなり限定されてしまいます。
更には魏書呉書と比べると、劉備の一族の記載が殆ど無い辺りが、
流浪の将軍にして拠点を持たなかった劉備ならではの特色と感じます。
「関張馬黄趙伝」では後に演義では五虎将に数えられる黄忠の記述がびっくりするぐらい少なかったり、
逆に魏延の「劉彭廖李劉魏楊伝」での記述が関羽などに匹敵するぐらいだったり、
(ちなみにこの巻はヒトクセある面子ばかりです)
この面子でよく頑張ったと見るべきか、
これを率いて皇帝とかは少々無理があったなあと見るべきかは各自に委ねられるところでしょう。
なお「'ケ張宗楊伝」楊戯伝には彼の手による『季漢輔臣賛』も収録されています、
ここ最近脚光を浴びている陳到などが収録されているのもこの書ですが、
あくまで『季漢(蜀漢)輔(支えた)臣(臣下)賛(讃える)』もので、
蜀漢内部での悪く言えば内輪褒め感が強く、
陳到こそ、そこそこ以上の官職に就いているので全くの凡将ではないのでしょうが、
ここで褒められているからと言って、名将だなんだと騒ぐのは少々如何な物かと思います。