ガラス制作者でもある筆者ならではの視点で解き明かされる正倉院御物のガラス器たち。教科書などにもよく出てくる白瑠璃椀がペルシア王家により統制された「輸出向け大量生産品」であったこと、紺瑠璃杯はほとんど復元不可能なほど高度な技術で作られた逸品であったことなど、正倉院ガラスについてまさに目から鱗の解説書・入門書です。
それにしても、正倉院御物というと東大寺大仏開眼以来まさに門外不出、塵芥にいたるまで厳重に管理されている(いた?)というのがふつうの認識ですが、それまでの記録にないものがあるときから出現したりまた紛失したりで実際はかなり流動的なものです。(多くは時の権力者の恣意によるところも大きいでしょう)もとより人のなす事で完全はあり得ないわけですが、宝物を宝物たらしめるのもまた人。自然の産物であるガラスを芸術作品に磨き上げる人の技術と、その価値を認めることこそがまさに宝物としての価値に他ならない、そんなことも考えさせられました。