SEEDの主人公であるキラ・ヤマトは、級友たちの間にさえ存在するコーディネーターへの偏見に気付きながらも、その誤解を解消するために自発的に行動することは無く、陰で鬱々と泣いて自分が感じている不満を隠そうとするくせに、臨界点を突破すれば突然周囲に向かって切れると言う事が多かった。
また、その時接している自分を慰めてくれるヒロインによって面白いくらい性格が変わることから、キラ・ヤマトには主体性が全く無いという事が推測される。
この巻では、今まで事ある毎に泣いていたキラ・ヤマトが自らの意思で泣かない事を決意する瞬間が収録されている。
普段泣かない人が泣くからこそ、その涙の一粒は重く、普段泣いてばかりいる人が泣かないからこそ、その決意は尊い。
しかしキラの尊い決意も、ラクス・クラインの
「泣いて良いのですよ、だから人は泣けるのですから」
という、どう考えても接続詞の用法を間違ったとしか思えない一言の前に、ものの一分ともたず脆くも崩れ去ってしまう。
人が成長する切っ掛けに、目の前に立ちはだかる困難に自分の力で打ち克つというものがある。
しかし、キラ・ヤマトは目の前に困難が立ちはだかる度に泣き、様々なヒロインに縋り、責任を他人に求める。
また、周りの人物も彼に同情し、慰め、困難から目を背ける事を許容してしまう。
残念な事に、AAには子供を叱る事が出来ない大人しかいなかったようだ。
そうして最初から最期まで成長する切っ掛けを逃し続け、同時に奪われ続けてしまった事が、このキラ・ヤマトと言うキャラにとって最大の不幸なのではないだろうか。
「何と戦うべきなのか解った」と、かつてキラ・ヤマトは言った。
しかし、当時ラクスの洗脳下にあった彼は本当に何と戦うべきかを解っていたのだろうか。
その戦うべき「何か」を彼が作中で明かす事は、終ぞ無かった。