「ガンダム」が「ガンダム」であるということの意味に正面から向き合った結果、導き出された一つの回答。この第4巻に収録の11話「アレルヤ」はそう言っても過言ではないと思う。
「エヴァンゲリオン」でも「マジンガーZ」でもいいのだが、「ガンダム」と「ガンダム」以外のロボットアニメを大きく分ける要素として、「戦争か否か」という問題がある。つまり「人間同士の殺し合い」をエンターテイメントとしてある程度のカタルシスを伴った形で提示することの難しさやきわどさ、といった問題が「ガンダム」には必然的につきまとう。
11話でメインを張るアレルヤ・ハプティズムの「撃ちたくないんだーッ!!!」という絶叫とも咆哮とも言うべき叫びを聞いて、一体あなたは何を思うだろう?他の誰よりも「人を殺めたくない」という考えの彼が、何故ソレスタル・ビーイングという「稀代の殺人者」集団に身を置き、そして他の誰かからの圧力ではなく「心の中のもう一人の自分」=「ハレルヤ」の声に導かれるかのような形で引き金を引いてしまったのか。少しでも歴代の「ガンダム」の作品のどれかに興味や接点のある人には、このエピソードを見届けてもらいたい、と思う。
ここで背負った十字架に対して、とりあえず第一期の最終回では「僕も生きる。」と心を決めるという形で決着を付けたアレルヤ・ハプティズム。しかし、二期ではこれまで自分を生かし続けてくれた「ハレルヤ」の存在なしで一人で闘っていかなければならない。「何故戦うのか?」「何故生きるのか?」そういった実存的な問いかけに対して正面から向き合ってこそ、「ガンダム」ではないのだろうか、と。
最後になったが、アレルヤ/ハレルヤ役を演じた吉野裕行、彼の神懸かり的な演技が無ければこのエピソードがここまでのクオリティを獲得することはなかったと思われる。インタビューなどでは「ガンダム」という作品や自分の演じる役柄に対してかなりクールで距離感をもった発言を(おそらく意図的に)繰り返す彼であるが、それ故に「プロ」としての凄さを感じる。他のキャストで「ガンダム大好き。」みたいなメンバーとの温度差・ノリの違いも相当あったろうに、それでもここまでの仕事をしてくれたことに心から感謝。