もはや局外中立を保つことなど、どの勢力にとっても現実性のないものだと、状況は示しています(平和であると、思いこむ、のは別として)。
小さくも、意味深く思える刹那の言葉は、麻痺ではなく、戦争の中で、己が微動だに出来ないことを、彼の生きる現実を、包み隠さず放ったように思えました。好戦的とか、反戦的であるとか、そういう平和な状況にあって、あえて分類される種類のものではない、刹那の現実を、そのまま表現したのでしょう。名台詞に分類してはいけない、と、心の中の何かが訴えてきますが、私の中で、「残る台詞」となりました。
「おもちゃの兵隊」‥‥‥‥悲しい言葉です。
国際法の埒外にあるソレスタルビーイングが介入する行動原理は、「敵を増やすことなど歯牙にもかけていない」ため、苛烈な実力を行使して、決して敬意を払ってはもらえない「実績」を積み重ねていきます。
幾つかの経緯を巡り、後味が悪かろうが、戦いの果ての「勲章のない勝利」だけが、彼らを存在させている現状は、過剰演出されるわけでもなく、淡々と表現され、評価の分かれるところでしょうが、これを「地味」「暗い」と表現されるなら、あえて「地味で上等」という意図もあるように思います。
物語は、「頭の中の平和」に対して、警鐘を鳴らしているとも思います。私だって戦争は怖い。それでも、この平和な日本でも、現実に「戦死」ではないにせよ、事故死、自殺者の数は、恐るべき数字に達しています。
頭の中の平和は、こんなにも恐ろしく、脆い‥‥‥。
本当の「強さ」とは、一体、どういうものなのか。
主人公たちは、尋常ならざる背景があるにもかかわらず、互いに痛みを分かち合おうとはしません。
連携して作戦に望んでも、根底の部分で連携してないという切なさの中で、戦い‥‥‥それを以ってして、「彼らの言葉」としているのは‥‥‥なかなかに伝わりにくい、困難な表現に挑戦されていると思います。これからの変化の布石のひとつ、ではないでしょうか。
しかし、この第3巻に来て、主人公の誰一人として、「生」が保障されていないことが、おぼろげながら見えてきた気がします。
もちろん、それは視聴率狙いの、安易な死ではなく‥‥‥‥とても暗く、怖いものです。
「強さ」の意味、表現に、注目していきたいと思います。
平和の中にも「生きるための戦い」は存在するのだから‥‥‥‥。
人は、自らの存在価値、生きる意味を探す、唯一の生き物です。その逆も然り‥‥‥。