41話光る宇宙。今見れば作画も荒い。では何故この話は強烈な印象を残したのか?ララァとアムロの出会い。友情ではなく恋ですらない。戦いの中でお互いを「わかりあえた」関係だったのではないか。あの生活から救ってくれたシャアの為に戦うというララァ。守るべきものもないと詰られるアムロ。アムロ自身にさえ何故こうまで戦えたのかという理由もわからなかった。
それを、おそらくは同じ力を示すことの出来るひととの出会いの中で、戦いの中で解ってしまった。
ミライはそれをいけないと感じた。シャアは敵と戯れるなと割り込む。セイラは兄を止めようとした刹那、ララァにいけないと云われる。ニュータイプの在り方は何であるのか? この戦場に居合せた「感じることの出来るひと」に問いかける。
1979年にそれを見た私たちはたかがアニメに何かを感じたのだ。
しかし、それは現在のガンダムにおいては忘れられてしまっているように思う。
光る宇宙は始まりであると思う。ギアスやエヴァ新劇場版、人とひととの出会いと繋がりを描く平成の作品群。絵適には隔世の感がある。ただ昭和54年に町場のプロダクションで作られたこのガンダム「光る宇宙」の功績はけして小さなものではないと思う。