著者が50代の頃の対談集。
よしもとばななとの対談の中で50代の変化を端的に語っている箇所がある。
つまり「いろんなことに迷い続けて、自分が自分を振り回している。その根源を考えたらどうも心とか精神とか、まあ、自我とか自意識に振り回されている」
「一般には体を心に従わせようとするけど、体に心を従わせていかないと。心はなんぼでも嘘をつくし、迷っているし、優柔不断だし。その点、体は正直だから」
「子供の頃から模写をしていたのは、それで自分が消えば、という欲求だった」とも福岡和也に語っており、
この自意識過剰とナルシシズムが横尾の幼児期からの“特徴”と考えていいだろう。
三宅一生がいい。
「いったん自分を突き放して見ようと思う。もうそこからしか面白いものは出てこないんじゃないか。ホームレスみたいな状況になるのもいいかな」
これはビートたけしがいっている「自分にとって危険なことをやる」ということと同じだろう。
横尾もこの三宅の言葉に賛同しているが、人一倍臆病で、そのくせしたたかな彼に、このようなことができるだろうか。
そのビートたけしとの対談は、たけしが終始恥ずかしそうで多くを語らない。
これはたけしが気乗りしてないときか、相手から逃げたいときの話し方だ。
横尾はたけしともっと親しくなりたかったようだが、うまくいかなかったようだ。
「T字路を描いたとき『そうだ、想像する必要はないんだ。森羅万象が明確にされたがっているんだ』と思ってね」と最後に語っているが、
彼のT字路の絵はそのような絵になっているのだろうか。
45歳で商業デザイナーをやめ画家宣言をした著者。
デザイナー時代の作品に比べて、”画家”となってからの彼の絵は高い評価を得られているのだろうか。
もっと大切なことは、新しい表現があるのだろうかということである。