「ネオダーウィニズム」の限界とは、DNAを生物そのものと同視しているところだ。
生物はDNAではない、個体をつくるシステム全体を生物という。
進化について、DNAとはキッカケを与えるくらいなもので(情報系)、
それを受けるシステム(解釈系)を改変できるかどうかの方が、進化にとっては重要な要素である。
構造主義進化論のおもしろいところは、言語学的構造主義の考え方を生物学に応用しているところだ。
DNA(情報系)を「言語」に対応させ、システム(解釈系)を「恣意的な認識」に対応させている。
「恣意的な認識」を大きく変えることができれば、種の進化は大幅に進むが、基底のシステムを改変するわけだから大きな危険も伴う。「個体が発生しない」「文化・言語を習得できない」などの危険性が高まる。
また構造主義的な解釈では、認識とは「恣意的」であり、種の進化も同じく「恣意的」なのである。
全ては偶有なのだ。
著者の主張は、「決定論」ではない偶有性こそが「生きている」ということであり、その「恣意性」により生じる差異や矛盾こそが、それらを包括するシステムの原動力となる。ということらしい。
差異性や矛盾こそが生物(システム)といえる。
矛盾だらけの私たちの意識は、矛盾しているから存在できている。と拡大解釈してみた。