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本書はニューアカデミズムの主流であった20世紀後半の思想、構造主義とポスト構造主義を26歳の著者が、その出典の原書の韜晦な翻訳やあるいはそれらの海外の思想を紹介した著作群100冊分ぐらいの内容を模範回答のようなレジメとしてまとめてしまった。それが浅田彰のデビューで、読者の期待するような風貌の彼の肖像写真の広告は書店を飾った。
レヴィストロースの構造主義から最先端と言われたフランスのポストモダン哲学者のガタリ、ドゥルーズの紹介まで、チャート式参考書的にまとめるならば、プリモダン、モダン、ポストモダンという新しい歴史観がこの時代の思想で認識された。
それは浅田彰氏のせいではないのだが、ニューアカデミズムは浅田氏の登場で花開いたというよりも、浅田氏の登場で終わってしまったと思う。京大でほぼ同窓の「美人論」の井上氏もかなわないなぁと語っていた。何故かといえば、この種の思想がすべてまとめて総括されてしまったからだと思う。
20年の時を経て、浅田氏も長野県知事にまでなった田中康夫との呆談を除き、著作の執筆は沈黙したままだ。そして思想は現実を変えないと本人が語ったと記憶するように、時代は近代的自我の確立というテーゼのモダンを超えることなく、プリモダンな土着・癒着・執着の社会に変化はない。
レビュアーは現代思想は20世紀で終わってしまったと考える。それは「現代思想」がいつまでたっても「他人の思想」のお勉強で、読者も学校の先生も大なり小なり苦労して勉強して理解するもので、「自分の思想」でないからだ。そして21世紀は、至極、単純、誰でも自分の力量で自分で考える、橋本治氏の「自分の思想」の時代と考える。それでやっと近代自我の確立ってやつではないかな?
顛末に始終してしまったが,本書は構造主義からポスト構造主義までを哲学書としては限りなくわかりやすくまとめた良書であり、これらの考えは大変にエキサイティングで大きな感銘を受けた。
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