ただの青年を、疑心暗鬼から検察官(ちなみに本書のタイトル、原題にのっとれば「査察官」とか
「監察官」が適当だそうだ。)だと勘違いして、ありったけの接待とお追従に励む人達。
そして、「違う」と一言言やいいのに、これはウマい話だとすっかり乗っかってしまうしたたかな青年。
思わぬ拾いものにほくほくの青年は、すっかり検察官になりきり、調子に乗ってある事ない事喋るうち、
自分のでまかせが真実だと思い込んでしまう。そしてそれをありがたがって拝聴する人々。
まるで一種の集団ヒステリーの様だ。でも劇として書かれているせいか、もし同じ内容の散文体があるとしても、
こちらの方がずっと面白さが迫って来る気がする。実際の演劇でこれを見たらさぞ愉快だろうと思う。
人物造形もシナリオも、とても良く出来ているのではないだろうか。
ロシアという国の歴史や文化に関する文献を読んでいると、たまに、一般庶民は服従の対象が居ないと
困ってしまうところがある、という様な事が書かれているけれど、それが本当だとしたらこの作品は
それを窺わせる様にも感じられる。国家権力にただビクビクするのと若干違い、あわよくばその懐に入り込もう、
取り込んでやろうとする辺り、確かに何だか自ら服従を望んでいるかの様に見えてしまうのだ(※勿論、これは
あくまで帝政ロシアの治世下で書かれた作品だから、そういった気質を現代ロシアの方々にあてはめるものではない)。
作者ゴーゴリの真意がどうであったとしても、ここまで人々を翻弄してしまうとは、あなオソロシや国家権力。
ようやく「検察官」が去り、皆がほっとしたところに突然告げられる「本物」のご到着。
今度こそ、「本物」。
ここでこの劇はぱたっと閉じられる。
この唐突な終わり方、私はとても好きだ。色々な想像をして楽しめるからだ。
それから人々はどうなったのだろう、また同じ様に接待やお追従に明け暮れたのだろうか?
検察官サマは、あのホラ吹き青年と同じ様にそれを「ありがたく」受けたのだろうか?
人々は青年ペテン師・フレスターコフを追跡し、しかるべき報復をしたのだろうか?
想像は無限に拡がるけれど、結局私はいつも、まさか今度の「検察官」も食わせ者ではない事を
善良なる人々のためにも心から祈りつつ、本を閉じることにしている(笑)