味わいのある小説である。信仰のある人は、神霊の存在を信じて、何の疑いも差し挟まないが、
形而上学のおかしさに目覚めた人にとって、神話を歴史の一部として受け入れることは不可能であり、
祖先の神霊が存在している「かのやうに」あえて振る舞うのが精一杯である。
唯物論者は、宗教の必要を認めないがゆえ、危険な思想家として扱われるが、
これは、為政者が宗教を統治の方便として利用してきたからである。
恥ずかしがり屋の唯物論者(不可知論者)は、宗教原理主義者の怒りを恐れ、穏健な思想家に甘んじている訳だが、
さて、神はいるか、いないのか、みなさん、じっくり考えてみませんか?
森鴎外曰く「考へることは、神話を事実として見させては置かない」として
「昔の人が真実だと思つてゐた、神霊の存在を、今の人が嘘だと思つてゐる」と述べ
「自分が信ぜない事を、信じてゐるらしく行つて、虚偽だと思つて疚しがりもせず、それを子供に教へて、
子供の心理状態がどうならうと云ふことさへ考へても見ないのではあるまいか」と嘆いている。
「かう云ふことを洗立をして見た所が、確とした結果を得ることはむづかしくはあるまいか」と懸念を表しているが、さてさて・・・
みんな仲良しが困難な現代において、付和雷同は宜しくない。
自立せざるを得ない皆様へ・・・