短編の史伝「栗山大膳」は、功を積んだ老臣と才気にはやるわがままに二代目君主との虚々実々の駆け引きを描いたものである。
江戸時代、筑前国福岡の城主黒田忠之と家老栗山大膳利章との派閥争いにすぎないと言ってしまえばそれまでであるが、専横の権力に対して、理を貫こうとする主人公栗山大膳には、鴎外が投影されているだろう。大膳には次のような作中の名言がある。「名将は城郭に重きを置かぬ。忠実な臣下が即城である」
長編の史伝「渋江抽斎」は、江戸時代の弘前の津軽家の医官、渋江抽斎の伝記。鴎外は初め、武鑑(江戸幕府の職員録)を集めていくうちに、武鑑に渋江の蔵書印が捺されていることが多いのに気づき、史料を探してその事跡・交友などを克明に考証し解明していく。医者であり、官吏であり、学問の幅が広い抽斎に鴎外は共感を覚え、自分の理想像として畏敬、敬愛して描いていく。その克己の姿には、近代的個人主義ではなく、儒教的な調和世界が見え、鴎外の文明批評もうかがえる。史料によった史伝に位置づけされるが、小説てき仮構も加えられており、特に妻五百の記述にその意味での精彩がうかがえる。石川淳の「森鴎外」中の評価として「一点の非なき大文章」とされ、鴎外の代表作の位置を占めている(雅)